『よみがえる1958年-69年のプロ野球』第4弾、1961年編が発売された。その中の記事を時々掲載します。 
『よみがえる1958年-69年のプロ野球』1961年編表紙
カラー写真を探せ!
1961年編から小ネタを紹介する。
当時の記事を見ると、シーズン中に「新ユニフォームで頑張る」という話が結構多い。
実際にはデザインが変わるわけではなく、夏用に軽い生地にしたり、スポンサーから新しいものをつくってもらうというのがほとんどだ。
この年代のユニフォーム特集での悩みの種は、カラー写真の乏しさである。
小社のプロ野球のカラー写真在庫は間違いなく日本一だと思うが、球団ごとの偏りや年代不明のものもある。当時の週べの表紙画像などを使ってカバーしているが、それでもないことが多い。
しかもパの関西球団、特に低迷期だった近鉄はホーム写真の絶対量が少ない。キャンプで撮りためた写真を使っているケースもあるが、ほとんど場合、新モデルは開幕後のお披露目で、キャンプ中は前年と同じユニを着ていることもよくある。
この年の近鉄も1960年からのものと変わらないデザインで腰番号が入ったが、それが確認できる写真がなく、キャンプ中の新人・
徳久利明を使わせてもらった。
もう一つは写真の色の退色だ。赤みがかかっていることも多く、本来の色が分からないこともある。
そう考えると綱島理友さんは、まさに神だ。
V9ユニ登場
では、ざっとセ、パの1961年ユニ史を振り返る。
この年、
川上哲治新監督の下、優勝&日本一を飾った
巨人は、前年、カーテレビ時代用にと、赤を大胆に取り入れたモデルにしたが、オーソドックスなものに戻り、1965年からのV9時代でも使われる最強ユニフォームとなる。
2位の
中日はえび茶が印象的な60年からのモデルと変わらず。初のAクラス3位となった国鉄は胸マークの輪郭やラインに赤を採用した。
4位の
阪神は球団名が『大阪タイガース』から『阪神タイガース』となったことを受け、ビジターの胸文字が『OSAKA』から『HANSHIN』になり、帽子マークも『OT』の組み合わせから『HT』の組み合わせに変わっている。
5位の
広島は60年からのモデルと同じ。前年の日本一から最下位となってしまった大洋は左袖にチャンピオンマークを付けている。またホームは胸文字が黒の夏用ユニフォームも着用していた。
3球団目のTOKYOビジター
続いてパ・リーグ。
優勝の南海は1959年からのモデルで変わらず、前年途中からつけた腰番号も継続している。
巨人を退団した
水原茂新監督が就任し、2位となった東映はデザインを一新。ホームの『FLYERS』のFが鳥のようになっているのが、オシャレだ。
ビジターは『TOEI』から『TOKYO』に。『TOKYO』のビジターは巨人、国鉄に続き3球団目だ。帽子マークは鳥の羽のようなものから、シンプルな書体の『F』となり、色はオレンジになった。
3位の西鉄は60年からのモデルで変わらず。前年の優勝から4位となった大毎は前年までのモデルから腰番号がなくなり、代わりに胸番号が入った。ビジターは縦ラインがなくなりグレー地となっている。
5位の阪急は60年からのモデルで変わらず、最下位の近鉄は前述のとおり60年モデルに腰番号が入った。
ちなみに
川崎徳次監督でLとなった西鉄の帽子マークだが、退任後の秋季キャンプで、さっそく
豊田泰光がNLマークの帽子をかぶっている。この人らしい。