元南海-大洋の佐藤道郎氏の書籍『酔いどれの鉄腕』がベースボール・マガジン社から発売された。 南海時代は大阪球場を沸かせたクローザーにして、引退後は多くの選手を育て上げた名投手コーチが、恩師・野村克也監督、稲尾和久監督との秘話、現役時代に仲が良かった江本孟紀、門田博光、コーチ時代の落合博満、村田兆治ら、仲間たちと過ごした山あり谷ありのプロ野球人生を語り尽くす一冊だ。 これは不定期で、その内容の一部を掲載していく連載である。 ヒジが笑ってる?

『酔いどれの鉄腕』表紙
本の内容をちょい出ししている連載。
今回は南海の若手時代の話だ。
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昔とは野球が変わったと言う人もいるけど、グラウンドでやることはそうは変わらない。
けど、試合中以外は結構、変わったよね。マスコミだって、今は女性の記者もたくさんいるし、テレビの女子アナウンサーが、きれいな格好でグラウンドで練習を見ていたりしてたでしょ。
でも、昔はそんなのあり得なかった。相撲の土俵と同じで、女性記者がグラウンドに入ったら怒鳴られていたからね。ベンチの中までならいいんだけど、そこでも選手には話しかけちゃダメで、監督やコーチならいいとかもあった。
チーム内の上下関係も厳しくて、1年目はマッサージも受けたことない。というか、してもらえなかった。トレーナーが少なくて、一軍と二軍が1人ずつだったからね。
キャンプでトレーナー室に行くと、ベテランがタバコ吸いながら並んでいた。大抵、7、8人いたかな。一人20分はかかるから、もう無理ってあきらめるしかない。
早く着いて、きょうは大丈夫そうだなと思っても、トレーナーが必ずこう言う。
「どうした、東京のボンボン」
俺は東京出身で大学出の新人だからね。で、俺が、「肩が重いんです」と言うと、
「じゃあ、風呂に行ってこい」
「なんでですか」
「体重計があるから何キロ重いか量ってこいや」
こんなこともあった。ヒジが痛くてたまらんかったとき、
「どうした、東京のボンボン」
「ヒジがおかしいんですよ」
「なんだ、ヒジが笑っているのか」
もうなんも言えん。降参です。
仕方ないから体のケアは自分で考えた。シーズンに入ってからだけど、登板が終わって飲みに行くときは、まず、シャワーで熱いお湯をしばらくヒジに当て、次は冷たい水をかける。これを3、4回繰り返した。アイシングなんてない時代で、我流だけど、今思うと、意外と理にかなってるでしょ。