「このグラウンドなくして、甲子園はない」

広陵高の正門を入り、左手の通路を100メートルほど進み、右折して坂道を下ると、奥にはグラウンドが見えてくる[写真=BBM]
なぜ、広陵高は甲子園の土を持ち帰らないのか? そこには深い事情がある。
母校・広陵高を指揮する中井哲之監督の最も好きな景観が、この写真である。
広陵高の正門を入り、校舎左側の道路を抜け、右手の坂を下ると、同校野球部の専用球場が見える。歴代の先輩たちが汗を流し、心技体を鍛え上げてきた伝統のグラウンド。中井監督はかつて、こう言っていた。
「一番行きたい場所は甲子園ですけど、一番良いグラウンドは広陵高校。このグラウンドを大事にしないと、甲子園にも行き着かんのです。真剣にボールを追い、あの土がついたボールにこそ、価値がある。このグラウンドなくして、甲子園はない」
広陵高にとって甲子園は目指すべき場所だが、努力の成果を発揮する場所でもある。甲子園とは高校3年間のうちで、ほんの一瞬の出来事である。言うまでもなく、広陵高での取り組みのほうが、はるかに長い。目標に到達するまでの過程を、いかに充実した時間にするかが、その後の人生の分岐点になる。中井監督も野球の技術向上よりも、私生活、学校生活に重きを置く指導者だ。
広陵高は慶応高との3回戦(8月16日)で、延長10回タイブレークの末に敗退した(3対6)。今夏は4年ぶりに甲子園の土を持ち帰ることが許されているが、広陵高は何の違和感もなく歴代先輩からの「慣例」に従って動いた。記念の土は拾わず、甲子園を後にした。

広陵高グラウンド。左翼92メートル、中堅116メートル、右翼91メートルは旧広島市民球場と同サイズである[写真=BBM]
甲子園から学校に戻ると、いつも中井監督は周囲にこう漏らすという。
「空気が良い。やっぱり、このグラウンドが一番」
甲子園の登録選手は20人だが、ベンチ入りメンバーは、あくまでも部員の代表。広陵高には「一人一役全員主役」という合言葉がある。
プロ、社会人、大学生のOB、現役部員に「なぜ、広陵高校に進学したのか?」を聞くと「中井先生の下で、野球をやりたかったからです」と即答する。中井監督は部員151人を、一生付き合う「子ども」として接する。控え部員へのケアを欠かさない。裏方に回る3年生の献身的な姿勢に、いつもこらえ切れず、生徒の前で泣く。素直に感情表現するから、部員たちも信頼を寄せ、本気でぶつかってくる。
広陵高グラウンドには毎日のように、野球部OBがあいさつに訪れる。卒業生の帰る場所に、「父」が待っているからだ。部員人数分の差し入れを持ってくるのが、伝統である。甲子園の土よりも、男を磨き、一生の絆を深めた高校生活のほうが、はるかに価値があるのだ。
文=岡本朋祐