元南海-大洋の佐藤道郎氏の書籍『酔いどれの鉄腕』がベースボール・マガジン社から発売された。 南海時代は大阪球場を沸かせたクローザーにして、引退後は多くの選手を育て上げた名投手コーチが、恩師・野村克也監督、稲尾和久監督との秘話、現役時代に仲が良かった江本孟紀、門田博光、コーチ時代の落合博満、村田兆治ら、仲間たちと過ごした山あり谷ありのプロ野球人生を語り尽くす一冊だ。 これは不定期で、その内容の一部を掲載していく連載である。 誰かが必ず見てくれている

『酔いどれの鉄腕』表紙
本の内容をちょい出ししている連載。
今回は落合博満監督の下、
中日の二軍監督をしていた時代の話だ。
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コーチ時代もそうだけど、俺はみんなを集めるミーティングは、ハッパをかけるだけで、技術的なことは個別にやっていた。
1つは個々の能力や野球に対する理解力の違いがある。年齢も違い、二軍なら一軍半的な選手、まだまだ育成段階の選手もいるしね。
実際、「お前、何をホームラン打たれたんだ」と言ったら「何ですかね。分かりません」と真顔で言うやつもいた。あれは参ったよ。たまたま打たれて頭が真っ白になったというわけじゃなく、覚えておこうという気がないんだ。
プロは失敗を自分の糧にする積み重ねなんだけどな。次に対戦したとき、ああこの間はこれを打たれたな、じゃ違う球で行こう、あるいは、もう少しコースを厳しく狙ってみようかとか思いながら成長するわけだからさ。差があると、下に合わせて話をしたら上がしらけるし、上に合わせると下が分からんでしょ。
もっと言えば、技術に関してはタイプもある。ピッチャーなら体が突っ込む欠点があるタイプと、残る欠点があるタイプがいたら、同じことは言えんのよ。1対1で伝えたほうが絶対にいい。共通して言っていたのは「逃げるなよ」くらいかな。
選手に対し、そんなに怒ったわけじゃないけど、ちんたらはさせなかった。
いつも選手に言っていたのが、「一生懸命やったら必ず見てる人がいるよ」ということ。
別にドラゴンズの一軍が呼んでくれなくても、ほかの11球団の関係者も見ているという意味さ。俺はいつも、ドラゴンズじゃなくてもいいから、その選手が少しでも長く現役を続けてほしいと思ってやっていた。
こういう考えは甘かったのかもしれない。力がないなら、早めに見切りをつけてやって、違う世界に進ませたほうが将来を考えたらいいと言っていた人もいた。それも正しいかもしれないけど、俺はやっぱり後悔なくやり切ってほしいし、そのための力になりたいと思ってやっていた。
あとね、儀式じゃないけど、一軍に上がる選手に必ず言ったのが、
「もう俺の顔を見ないようにしろよ」
要は、もう二軍に戻ってくるなって意味さ。何度も見ちゃったやつもいるけどね。