守備力を磨く大きな転機となったある出来事

『侍ジャパン戦士の青春ストーリー 僕たちの高校野球3』
現役プロ野球選手たちの高校時代の軌跡を辿る『僕たちの高校野球』。待望のシリーズ第3弾となる『侍ジャパン戦士の青春ストーリー 僕たちの高校野球3』がベースボール・マガジン社から発売になった。ここでは掲載された7選手の秘蔵エピソードの一部を抜粋し、全7回にわたって紹介していく。第3回は
西武の
源田壮亮。当時はまだ無名だった男の高校時代は、どんなものだったのだろうか。
将来の夢はJリーガー?
1993年2月16日、源田壮亮は大分市で産声をあげた。野球が好きな父・光明さん、源田が泣いていると叱咤激励するなど肝が据わった母・靖子さんの愛情をたっぷりと受けて育った。
幼少時代から運動神経は抜群で、2歳で補助輪を外した自転車を乗りこなした。さらに幼稚園のころにはすでに縄跳びの二重跳びもなんなくできた。
そんな壮亮少年が子どものころ、最初に好きになったスポーツはサッカーだった。ちょうどそのころ、2002年日韓サッカーワールドカップの試合会場にもなった大分スポーツ公園総合競技場(現・レゾ
ナックドーム大分)が完成。地元の大分トリニータがJ1の強豪チームだったこともあり、サッカーがトレンドだった。
源田も、幼稚園卒園の時に埋めたタイムカプセルの中に入れた自分宛ての手紙に「将来の夢はJリーガー」と書いたほど、夢中になって2歳上の兄とサッカーボールを追いかけていた。
しかし、やはり野球選手の星の下に生まれたのだろう。源田自身も後でタイムカプセルを開けた時に初めて知ったというが、「Jリーガー」と書いたはずの手紙には「プロ野球選手」と上書きされていた。
「僕も全然知らなかったので、10年後くらいにタイムカプセルを掘り起こして見た時にびっくりしたのですが、明らかに大人の字で『プロ野球選手』と(笑)。昔から野球が好きだった父が、『野球選手になってもらいたい』という思いで書いたのだと思います」
ある日のノックで6本の歯を骨折
源田の大きな武器である守備への意識を、より高めたある出来事が高校時代にあった。
「たしか、1年の秋か冬だったと思います」
そう源田が語り出したのは、ある日の練習でのことだった。いつものようにノックを受けていると、突然目の前でイレギュラーした打球が、顔を直撃したのだ。歯が折れ、口の中は血まみれになっていた。
四つん這いの状態でしばらく動けなかったが、それでもなんとか近くに転がっていたボールを捕り、一塁へ送球した。だが、その後はとても動ける状態ではなかった。練習を抜けてすぐに病院に行き、治療をしてもらった。結局、6本の歯が折れていた。
「それ以降、打球に恐怖心を抱くようになって、それまでのようにうまく捕球できなくなってしまいました。打球が自分のところに飛んでくると、全部顔に来るイメージが脳裏に浮かんで、どうしても体が逃げちゃうんです。それを克服するのには、相当な時間を要しました」
不安な気持ちを周囲には悟られないようにしながら、とにかく練習を積み重ねた。なんとか嫌なイメージが浮かんでこなくなったのは、半年を過ぎてからのことだった。ただ、野球人生の大きな転機の一つになったことは間違いなかった。
「いくらイレギュラーしたとはいえ、顔に打球を当てるということは下手な証拠だなと思ったんです。だからそれからはバウンドを先読みして、体をどう入れるかをより考えるようになりました。
どんなにイレギュラーしたボールでも、しっかりとミットに入れられるような体勢で捕球ができるようになったのは、あの時に痛い思いをしたからこそだったと思います。もう絶対に当たりたくなかったですから(笑)」
今や鉄壁の守備力で球界屈指のショートストップに成長した男の原点が、ここにあった。
明日は「
松井裕樹」編です。