『よみがえる1958年-69年のプロ野球』第5弾、1962年編が9月28日に発売。その中の記事を時々掲載します。 
『よみがえる1958年-69年のプロ野球』1962年編表紙
国旗と国歌も
今回は9月28日発売、1962年編からこの年開場した東京スタジアム話を3回に分けてお届けする。今回は2回目。
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東京スタジアムのこけら落としは、6月2日が予定されたが、途中建設の遅れから開催が延期されるのではとウワサされた。
週べでは、5月半ば、本業の映画の仕事で韓国に行っていた大毎オリオンズ・永田雅一オーナーが帰国した直後にインタビュー。そのウワサについても尋ねた。
「間違いないだろう。何か間違いがあることがあるの? 開場ができない場合というのは、大地震が起きるというのか、大暴風雨があるというのか。工事を見に行ってみれば分かるだろう。できるとかできないとかいう質問は愚問じゃないか」
永田オーナーはそうまくしたてた。
さらにスケジュールについては、「5月30日の午前中には竣工式をやって、正午から祝賀会をやる。翌日には電気(照明)なんかをつけて練習してみる。6月2日は偶然にもパ・リーグの6球団が東京に来るわけだから、無理を言ってパシフィックの入場式をやろうと思うんだ。そして南海を迎え打つわけさ」
偶然にも、かどうかは分からないが、東京スタジアム開場のカードは大毎-南海戦。同2日、後楽園で東映-西鉄戦があり、5月31日には大毎-阪急、東映-近鉄の後楽園での変則ダブルがあって、阪急、近鉄は2日の試合が入っていなかった。
球場では横綱の大鵬と柏戸が一、三塁から登場し、グラウンドで横綱土俵入りをするというアイデアもあったが、2人がハワイ巡業に行くので断念したという。
永田オーナーが東京スタジアムの特徴について語っている箇所もあったので抜粋する。
「とにかくベースボールの醍醐味を味わいながら楽しもうという観点で、あのスタジアムをつくっているわけだ。大衆の声を聞けば、見るスポーツの場所に、完備した立派なムードがあるデラックスなスタジアムができるちゅうことは大きい。スタンドもファン本位にしてあるんだ。
東京スタジアムは、もちろん一番新しいんだから当然日本一であることは間違いないし、見てもらえば分かるが、アメリカにおいても五指に数えられる球場だと僕は思うね。一応、モデルはサンフランシスコ・ジャイアンツ(キャンドルスティック・パーク)をかなり使っているわけだ。
自分は大毎オリオンズのオーナーであるとかいうこともさることながら、ああいうもので東京に一つの名所ができたということもいいことだよ。もう一つは火事、水害が起きた場合の避難所にもなるしね。大変な費用がかかったよ。地所が約14億円、建築費が16億で30億だもの。
この球場に特徴付けようと思うのは、必ずここでは君が代で国旗掲揚式を済ましてからじゃないとプレーボールをかけないスタイルにしようと思う」
最初の怒りの表情はどこへやら、途中からは笑顔、笑顔で話していた。
※担当者が「ベースボール・マガジン社【出版部野球担当】」というXを始めたので、興味ある方はぜひ。