酔っぱらって打席でふらふら

表紙
現役時代、
中日ドラゴンズ、
西武ライオンズ、
千葉ロッテマリーンズで活躍した外野守備の名手・
平野謙さんの著書『雨のち晴れがちょうどいい。』が発売された。
両親を早くに亡くし、姉と2人で金物店を営んでいた時代は、エッセイストの姉・内藤洋子さんが書籍にし、NHKのテレビドラマにもなっている。
波乱万丈の現役生活を経て、引退後の指導歴は、NPBの千葉ロッテ、北海道
日本ハム、中日をはじめ、社会人野球・住友金属鹿島、韓国・起亜タイガース、独立リーグ・群馬ダイヤモンドペガサスと多彩。
そして2023年1月からは静岡県島田市のクラブチーム、山岸ロジスターズの監督になった。
これは書籍の内容をチョイ出ししていく企画です。今回はドラゴンズ時代の1982年の優勝秘話です。
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10月18日が最終戦です(対大洋。横浜)。勝てば優勝の試合で8対0と楽勝だったのですが、大洋の
長崎啓二さんと首位打者を争っていた
田尾安志さんが5連続敬遠をされ、試合中は優勝決定試合と思えぬ異様な雰囲気になっていました。
優勝決定の瞬間はうれしいというより、やっと終わったというホッとした気持ちが強かったですね。ケガを抱えながらですが、初めて1年間フルに働いたシーズンでもあります。それなりに打っていますが、自分の成績はまったく意識していませんでした。ケガもあってゲームに出るだけで精いっぱいで、とにかく「疲れた」の一言です。
この試合の前、中日ナインがビールを飲んだ話はご存じでしょうか。
近藤貞雄監督が「きょうは緊張するなと言っても無理だろう。ビールを飲んでもいいぞ」と言って、祝勝会用だったのか、缶ビールが準備してありました。
僕は、言われたとおり素直に飲んだのですが、あとで聞くと、ほとんどの選手は飲まなかったり、少し口をつけて飲んだマネをしただけだったようです。
こんなことを書くと、「お前、アル中か!」と言われそうですが、僕はナゴヤ球場の試合前にビールを飲んでいたことがあります。夏の暑い時期の練習のあとは、のどが渇きます。さすがに瓶や缶で飲むわけにはいきませんが、球場の喫茶店でヤカンを借り、ビールを入れてもらって湯のみ茶碗でこっそり飲んでいました。
そう言いながらも、実は、僕は酒が弱くて大して飲めません。すぐ顔が真っ赤になります。だから試合でも1打席目くらいまでは真っ赤になっていることがよくありました。
試合前、相手のコーチに「お前、すごい日焼けをしているな。昼間、ゴルフにでも行ったのか」と言われたこともあります。
大島康徳さんと一緒にキャッチボールをしていたときで、大島さんは知っていたらしく、「飲んでる、飲んでる。ビールをね」とバラしていましたが、相手のコーチはまさかと思って信じていなかったようです。
ふらふらでバットが振れず、交代させられたこともありました。
コーチは何も言いませんでしたが、バレていたと思います。寮の夜遊びもそうでしたが、ドラゴンズの若手時代は、ちょっとだけ悪さをしたかった気持ちもありました。かなり遅い反抗期が来たようなものですね。