『よみがえる1958年-69年のプロ野球』第5弾、1962年編が9月28日に発売。その中の記事を時々掲載します。 
『よみがえる1958年-69年のプロ野球』1962年編表紙
投げるかどうか決めるのは監督じゃない
今回は、MLB通算149勝を挙げ、1956年には27勝で最多勝にもなった
ドン・ニューカムのインタビューの抜粋。一度は引退したが、
中日に打者でもいいからと誘われ、同年野手として入団。1年だけプレーし、最終戦では1試合に登板している。
ちなみに日本球界で登板したサイ・
ヤング賞受賞選手は、ほかに
DeNAの
バウアーのみ。
聞き手は野球評論家の
佐々木信也氏。ニューカムの中日での登録名は「ニューク」だった。
話題は投手の酷使である。
■
佐々木 日本のピッチャーの酷使については。日本はアメリカと違って野手よりもピッチャーのほうがサラリーが高いんだから、投げさせてもいいという監督がいます。
ニューク そういう話は初めて聞きました。私は反対ですし、なぜそんな酷使をするのか知りたいですね。例えば中日の
権藤博が400イニング投げたと言うけれども、これはメジャー・リーグのピッチャーなら大体3年間で投げるイニング数に当たるんです。監督としては当然、いいピッチャーはできるだけ長く投げられるようにすべきですよ。ときには試合に勝つために余計使うかもしれないけど、それは給料うんぬんの点からは説明できないと思います。野手に比べたらむしろ、肉体的に大変なんですから。野手は体全体を使うけど、ピッチャーは腕一本だけだから、早く寿命を縮めることになるわけです。
佐々木 チームが優勝するためだったら、自分の腕の折れても構わないというピッチャーもいます。
ニューク 非常に理解しがたいですね。優勝できるのならまだしも、とても優勝はできないと思われるチームでも投手を酷使しているんじゃないですか。まるで投手が20人もいるような使い方だと思うんです。第一、投げるかどうかを最後に決定する権利は監督にはないと思うんですよ。私に言わせると。
佐々木 なるほど。アメリカの場合は監督がそういう使い方はしないでしょうが、ピッチャーの考え方はどうなんでしょう。
ニューク チームのために腕が折れても頑張ろうということはありますよ。とにかく野球の75パーセントは投手力ですから、監督が自分のピッチングスタッフをどれだけ上手に使い、どれだけ大切にするかによって、そのチームの進歩、あるいは成績が決まるわけです。