『よみがえる1958年-69年のプロ野球』第5弾、1962年編が9月28日に発売。その中の記事を時々掲載します。 
『よみがえる1958年-69年のプロ野球』1962年編表紙
寝坊じゃない
今回は1962年編に入りきらなかった長嶋さんらしい話を。
■
「えらいことになってしまった。野球をやり始めて、こんなことは初めてだ」
巨人・
長嶋茂雄が珍しく真っ青な顔をしていた。
“事件”が起こったのは1962年5月7日。富山、金沢への北陸遠征への移動日だった。
長嶋が上北沢の家を車で出たのは午前7時40分。巨人は午前8時50分発の特急「白鳥」で富山に向かうことになっていた。
ややぎりぎりに思えるが、長嶋によれば「普通であれば上野駅には1時間。十分間に合う」という計算だった。決して寝坊ではない。
しかし、甲州街道が大渋滞で長嶋が上野駅に着いたのが8時49分。改札口まで走ったが間に合うはずもない。
「いやあ、駅のホームはすごく混んでいたでしょ。みんなに見られてるから、乗るんじゃない(乗り遅れたわけじゃない)って顔をしたけど」と長嶋。内心はかなり青くなっていた。
やむなく9時15分発の「白山」に乗り、車中で「まあ、監督に怒られるのは仕方ないな。長嶋茂雄、一世一代の不覚だ」と嘆いた。
この日、試合はないが、高岡市で「巨人軍とファンの集い」がある。ご存じのように大正力こと正力松太郎の故郷であり、選挙区でもある。
しかし、さすが長嶋、運がある。高岡駅から車で宿舎に到着したとき、ちょうど会場へ移動するバスが出ようとしていてギリギリ間に合った。
ナインは「どうしたんだ、寝坊でもしたか」と大騒ぎだったが、
川上哲治監督はまったく無視し、バスの前方を見つめていた。
集う会からの帰りのバスで長嶋は、「そろそろ調子を取り戻さねばね。この北陸シリーズではどうしてもホームラン1本は打ちたいね。そうでなければ遠征の列車に乗り遅れたというマイナスは取り戻せないからね」と語った。
翌8日、相手は国鉄スワローズ。国鉄の打撃練習で誰よりも飛ばしていたのが、投手の
金田正一だった。金田は長嶋を見つけ、「どや、当たっとるかいの」と声を掛け、「まあまあですね。金田さんのとこにバッティングでも教わりに行こうかな」と長嶋も笑顔で答えた。
試合は先発・
鈴木皖武の5回無安打無失点の好投で国鉄が1対0とリード。6回、鈴木が先頭打者にヒットを許すと金田がリリーフで出た。
しかし、7回に長嶋が同点ソロ、1対1のまま進んだ延長14回裏にも長嶋が金田からサヨナラ本塁打で巨人が2対1の勝利だ。
試合後、長嶋は「これで帳消しができたな」とポツリと言った。