家族のために

表紙
現役時代、
中日ドラゴンズ、
西武ライオンズ、
千葉ロッテマリーンズで活躍した外野守備の名手・
平野謙さんの著書『雨のち晴れがちょうどいい。』が発売された。
両親を早くに亡くし、姉と2人で金物店を営んでいた時代は、エッセイストの姉・内藤洋子さんが書籍にし、NHKのテレビドラマにもなっている。
波乱万丈の現役生活を経て、引退後の指導歴は、NPBの千葉ロッテ、北海道
日本ハム、中日をはじめ、社会人野球・住友金属鹿島、韓国・起亜タイガース、独立リーグ・群馬ダイヤモンドペガサスと多彩。
そして2023年1月からは静岡県島田市のクラブチーム、山岸ロジスターズの監督になった。
これは書籍の内容をチョイ出ししていく企画。今回は中日でほされたような形となったあと、西武移籍が決まった1987年の話です。
■
自暴自棄な思いになりながらも、一つ気になっていたのは嫁さんです。
その年のオープン戦のさなかに結婚したのですが、野球選手は結婚した年に成績が落ちるという話があります。それにもろにはまってしまったので、嫁さんが気にしたら悪いなと、ずっと思っていました。
嫁さんは元アイドル歌手で、中京ローカルの『スーパードラゴンズ』(初出修正。書籍では正しいものが入っています)という番組でアシスタントをしていて(タレント名は秋本理央。現平野清美さん)、司会の鈴木ひろみつさんと取材に来たときに初めて会いました。
照れくさいけど僕の一目ぼれです。ヒロミツさんと一緒に進行役だったOBの
権藤博さんは「あいつは遊び人だからやめておけ」と余計なことを言っていたらしいですね。
10月に知り合って、3月に結婚だから決断力のない男にしては早いでしょ。
結局、オフに右投手の
小野和幸とのトレードで西武移籍が決まりました。はっきり言えば、仙さんに嫌われて追い出された形です。球団の担当者から「いつか帰ってこいよ」と言われ、「ありがとうございます」とは言いましたが、「もう帰ってくることはないんだろうな」と思っていました。
ドラゴンズにも名古屋にも愛着があったので、ショックはもちろんありましたが、嫁さんが埼玉出身で、移籍を埼玉にいる義父、義母はすごく喜んでくれました。
しかも、トレード発表の11月20日が長男の出産予定日です。家を空けることが多い仕事なので、何かあったとき、嫁さんと子どもの面倒を見てくれる人が近くにいるのがありがたいという思いもありました。
名古屋で生まれ、名古屋で育った平野謙としては寂しかったが、家庭人・平野謙としては、ありがたい移籍だったと言えるでしょう。
あのときの僕は、仙さんへの恨みやドラゴンズへの未練より、行く先の西武で、どういう形でレギュラーに割り込んでいけるのかだけを考えていました。結婚して子どもも生まれ、みんなで暮らしていかなきゃいけない、自分が食わせていかなきゃいけない。
なんとかしなきゃという思いが強くありました。