必勝パターンを完成させた“助っ投”

86年に来日し、19セーブをマークしたサンチェ
投手分業制が完全に定着した昨今。スターターのあとに数人のセットアッパーが控え、そのあとには安定のクローザーが待ち構える。もはや勝利への常道といったところか。ただ、ひと昔前は「投手は先発して一人前、そして完投するのが当たり前」という時代だった。当時、近年のような継投策の登場が驚きをもって受け止められたことは、それが流行語になったことからも分かる。しかも、当時のプロ野球テレビ中継のド真ん中にいた
巨人でのことだったからなおさらだった。
1986年の流行語は「角、鹿取、サンチェ」。
角三男と
鹿取義隆、左右のサイドスローを中継ぎ、来日1年目で右腕の“助っ投”ルイス・サンチェを抑えに配置した
王貞治監督の必勝パターンは「王(ワン)パターン」とも揶揄され、ある意味では異端視されていたともいえる。前任、そして後任でもある
藤田元司監督は先発完投にこだわったから、王監督の継投策は時代を先取りしていたともいえるだろう。
見方を変えれば、最優秀救援投手の経験もある角、ほぼリリーフ専門で投げてきた鹿取に、メジャーでもリリーバーの経験がある助っ人のサンチェが加入したことが、王監督の継投策を完成させたともいえる。80年代は助っ人といえば長距離砲が圧倒的に優勢で、特に助っ人のリリーバーは異色でもあったが、これが機能する。
84年に助監督から昇格して、2年連続3位に終わっていた王監督にとっては、まさに助っ人。85年に8勝を挙げていたスターターの
キース・カムストックを“第3の外国人”に追いやったサンチェは、勝ちゲームの終盤でフル回転する。近年の助っ人クローザーに比べれば数字は小さいものの、37試合に登板して4勝1敗19セーブ、防御率2.32。巨人は2位に浮上して、悲願の王座も見えてきた。
ただ、「角、鹿取、サンチェ」の継投パターンは、この86年だけだった。翌87年には鹿取が抑え、サンチェは中継ぎがメインに。巨人4年ぶり、王監督にとっては初のリーグ優勝に輝いたが、防御率2.82ながら0勝3敗9セーブ、トラブルも少なくなかったサンチェはオフに解雇となり、退団している。
写真=BBM