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プロ野球回顧録

史上4度しかない摩訶不思議な試合 「無安打有得点」とは?【プロ野球回顧録】

 

村山のノーヒット「2ラン」


村山はノーヒットノーランを1度も達成できなかった


 6月7日のロッテ戦(マツダ広島)で広島・大瀬良大地が史上90人目、102度目のノーヒットノーランを達成した。「ノーノー」はヒットを許さず、得点を与えない、いわゆる「無安打無得点試合」だが、「無安打有得点試合」――数ある参考記録の中でも、史上4度しか記録されていないレアケースをご存じだろうか。

 初めて起こったのは1939年5月6日の南海対阪急戦(甲子園)。南海は1点を先制するも、5回まで無安打に抑えていた先発の宮口美吉が6回に乱れる。先頭に四球を与えると、次打者の送りバントを宮口がエラーして無死一、二塁。さらに送りバントと死球で一死満塁とし、黒田健吾にレフトへ犠飛を打たれてノーヒットで同点に追いつかれた。さらに7回も先頭に四球を与えたところで二番手の平野正太郎にスイッチ。だが次打者の送りバントに三塁手の新人・鶴岡一人が一塁へ悪送球。一走の岸本正治は一気にホームを陥れ、ノーヒットのまま2対1と逆転に成功する。以降も阪急打線は平野から安打を打つことができぬまま、現在でもプロ野球で唯一となっている無安打での勝利を成し遂げた。

 同じ39年、8月3日の金鯱対イーグルス戦(西宮)でも「無安打有得点」が記録された。イーグルスの先発はのちに2度のノーノーを達成する亀田忠だが、この年にシーズン与四球の最多記録280を記録することになる男は初回、先頭に四球を与えると、エラーに加えてさらに四球で無死満塁。なんとか二死までこぎつけるが、六番の古谷倉之助に押し出し四球で先制を許してしまう。その後も四球は出すもののヒットは打たれないまま9回を投げ切り、味方打線は6回に追いついて9回にサヨナラ勝ち。亀田は「ノーヒット1ラン」で完投勝利を収めた。

 亀田を上回る「ノーヒット2ラン」を記録したのが大阪の村山実だ。入団1年目の59年5月21日、それまで2戦2敗の巨人戦(甲子園)では立ち上がりから快調で4回までパーフェクトに抑えると、味方が2点を先制する。だが、5回に不運が重なった。先頭の長嶋茂雄に四球を与えて初の走者を許し、一死二塁から広岡達朗の三ゴロを三塁・三宅秀史が一塁へ悪送球して長嶋が生還。さらに宮本敏雄のボテボテの投ゴロを今度は村山自身が悪送球で広岡が同点のホームを踏んだ。

 6回以降は再び安定したピッチングで許した走者は四球の1人のみ。阪神は6回に三宅が汚名返上となる決勝の勝ち越しホームランを放って3対2で勝利。村山は1本のヒットも打たれることなく14奪三振で完投勝利を収め、巨人戦での初勝利をマークした。結局、村山はノーヒットノーランを一度も達成することができなかっただけに、まさに「魔の5回」となってしまった。

「継投ノーノー」ならず」


 4度目は64年5月13日の南海対近鉄戦(大阪)。初回に1点を先制した近鉄は先発の牧野伸が5回まで無安打投球。だが、6回一死から広瀬叔功に四球を与えると、すかさず二盗、三盗とかき回される。一死一、三塁となって牧野から山本重政にスイッチし、杉山光平を二ゴロに打ち取るも二塁・ブルームが打球をそらしてノーヒットで同点に追いつかれた。近鉄は8回に2点を勝ち越し、リリーフした山本重はその後もノーヒットピッチングで試合終了。だが惜しくも「継投ノーノー」とはならなかった。

 そこから60年間、「無安打有得点」という珍事は起きていない。次に実現するのは、果たしていつになるのか。

写真=BBM
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