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中日の近藤廉、松木平優がファームで防御率1点台…「支配下最後の1枠」の行方は

 

クロスファイヤーを右打者の懐に


育成選手に戻った今季だが、ウエスタンで好投を続ける近藤


 昨年8月25日のDeNA戦(バンテリン)。2023年の一軍初登板で大きな試練を味わったのが、左腕の近藤廉だった。9回に登板したが相手打線の勢いを止められず8安打を浴びて10失点。62球を費やして最後まで投げた登板は大きな反響を呼んだ。

 この試合に先発登板して8回2失点の快投で勝ち投手となったバウアーは、自身のYouTubeチャンネルで近藤に激励のメッセージを送っている。

「個人的に説明すると、僕が初めてドラフト指名された2011年、登板日の朝に代理人から電話があった。今日いい結果を出せば大リーグから呼ばれるかもしれないと。それが1回2/3を投げ12被安打10失点。ひどいやられようだった。僕は近藤投手に励ましの言葉を送りたい。近藤投手、落ち込まないで、続けるんだ。世界最高の選手でもそういう時はある」

 あの登板から10カ月。オフに戦力外通告を受けて育成契約で再出発した左腕は一軍のマウンドを目指し、猛アピールしている。ウエスタン・リーグで24試合に救援登板し、2勝0敗、防御率1.13をマーク。他球団の首脳陣はこう評する。

「140キロ台後半のクロスファイヤーを右打者の懐に投げ込める投手。制球もまとまっていますし良い投手ですよ。一軍で通用する力は十分に持っています。10失点を喫した登板がフォーカスされますが、あの試合はDeNA打線に火がついていたし、プロデビュー戦で抑えるのは難しいですよ」

 札幌学院大から育成ドラフト1位で中日に入団。新人の2021年に対外試合で好投を続け、開幕してわずか5日後に支配下昇格した。2年半で育成契約に戻り、再スタートを切ることになったが、能力の高さは見せておりファームの今季の成績は決してフロックではない。

プロでの生きざまがお手本となる左腕


広島で先発、抑えに活躍した大野だが、デビュー戦は散々だった


 プロでの生きざまが、近藤のお手本になる投手がいる。ほろ苦い登板からはい上がり、球界を代表する左腕として名を刻んだ元広島の大野豊氏だ。軟式野球でプレーしていた出雲市信用組合から広島にテストを受けてドラフト外で入団。1年目の1977年9月4日の阪神戦(広島)でデビュー登板を飾ったが、結果は散々だった。片岡新之介に満塁本塁打を打たれるなど一死しか取れず5安打5失点。このシーズンは1試合登板のみに終わり、防御率135.00という数字が残った。大きなショックを受けたが、1人で育ててくれた母親から、「たった一回の失敗であきらめるんじゃない。もう一回頑張りなさい」と電話で励まされ、「もうこれ以上は悪くならない」と再び立ち上がった。

 その後は中継ぎ、先発、抑えとチームが必要とされる役割で結果を残し続けた。88年に13勝7敗、防御率1.70で最優秀防御率と沢村賞を獲得。185イニングを投げ、リーグトップの14完投をマークした。リーグ優勝を飾った91年は6勝2敗26セーブの防御率1.17で最優秀救援投手に。翌92年も抑えで2年連続タイトルを受賞すると、93年に史上4人目の「100勝&100セーブ」を達成。40歳を過ぎて再び先発に転向すると、97年に9勝6敗、防御率2.85で自身2度目の最優秀防御率を受賞した。

デビューの試練を糧に


 野球評論家の小早川毅彦氏は週刊ベースボールのインタビューで広島時代のチームメートで最もすごかった投手を聞かれ、大野氏の名前を挙げている。

「『七色の変化球』と言われるくらい、スライダー、カーブ、フォーク、パームなど球種をたくさん持っていました。でも真っすぐもものすごく球威があった。ピッチングスタイルを見ても、大野さんはどんな場面でも狙って三振を取っている印象でした。これが三振を取れる投手なんだなと」

 近藤も左腕の大先輩である大野氏のように、試練を糧に大輪の花を咲かせられるか。中日の支配下登録選手は現在69人。開幕前に育成枠のクリスチャン・ロドリゲス尾田剛樹が支配下昇格し、上限の70人まで残り1枠しかない。21歳育成右腕の松木平優太も13試合で8勝3敗、防御率1.81の好成績を残しており、松木平、近藤が支配下昇格の有力候補となる。一軍のマウンドに立つ投手は果たして――。

写真=BBM
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