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愛すべき助っ人たち

江川を打て! 1979年、阪神ファンが快哉を叫んだラインバック【愛すべき助っ人たち】

 

安定感と勝負強さ


1976年に阪神に入団したラインバック。シュアなバッティングが光った


 高知県の安芸市といえば、古くから阪神と縁が深い“タイガース・タウン”。昨秋も市民はVナインを盛大に出迎えた。もちろん、このエリアには長く阪神を応援しているファンがいるが、彼らの多くにとってのヒーローは、1979年に巨人から阪神へ移籍した小林繁。アンチヒーローは巨人の江川卓ということになる。これの経緯について詳しくは別稿に譲るが、簡単に書けば、阪神から巨人へ“移籍”することになった江川の、そのトレードの相手こそ小林であり、巨人のキャンプ地である宮崎ではなく高知の安芸へやってきた小林を見たさに現地は大渋滞が発生。彼らは、その目撃者でもあるのだ。

 その79年、小林は阪神で快進撃。一方で、アマチュア時代から“怪物”と騒がれていた江川は、5月いっぱいまでの一軍登録を見送られ、デビューは6月に入ってからだった。その6月2日、舞台は後楽園球場。対するは因縁の阪神だった。まずマウンドで深々と頭を下げた江川だったが、最終的には敗戦投手に。このとき江川に土をつける逆転本塁打を放ったのがマイク・ラインバックだった。

江川のデビュー戦で本塁打を放ったラインバック


 再び高知県の東部に話を戻すと、「生まれて初めて見た外国人が(小林を見るために行った安芸のキャンプにいた)ラインバックだった」という年配のファンもいる。それだけインパクトの大きなシーズンだったということでもあるが、そんな劇的なシーズンで、劇的な一発を放ったのがラインバックだったというわけだ。

 ただ、ラインバックは決して“一発屋”ではない。入団は76年で、79年は来日4年目となる。80年オフに退団したが、豪快なヘッドスライディングと華麗な外野守備で沸かせ、トレードマークは口ヒゲと泥だらけのユニフォーム。ファンからはファーストネームの“マイク”と呼ばれて親しまれた。打っては1年目から打率3割を突破して、その79年には自己最多の27本塁打を残している。中距離ヒッターながら安定感に勝負強さを兼ね備えて、通算598安打、324打点は阪神の助っ人では歴代3位だ。また、デーゲームで目の下を黒く塗るアイブラックを日本に持ち込んだ選手としても名を残している。

写真=BBM
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