昭和と平成をまたいだ大洋で
ポンセとともに86年に来日したローマン
昭和から平成にかけての時期、長い低迷の底にいたのが大洋、現在の
DeNAだった。まだ愛称がベイスターズではなくホエールズだった時代だが、横浜へ本拠地を移したものの、風向きは変わらず。とはいえ、話題は豊富だった気がする。
1985年にダイヤモンドを駆け巡ったのが打順の一番から三番まで
高木豊、
加藤博一、
屋鋪要の韋駄天3人を並べた“スーパーカー・トリオ”。オフには主砲の
レオン・リーを放出したが、その穴を埋めて人気を博したのが翌86年に入団した
カルロス・ポンセだった。勝負強い打撃もさることながら、その外見に当時の野球少年たちは雨で野球ができない日に夢中になったファミコン(知らない若い人は調べてほしい)ゲーム「スーパーマリオブラザーズ」の主人公、マリオの面影を見たのだ。
四番打者として活躍した大洋の「マリオ」は足も速く、高木からポンセまでを“スーパーカー・カルテット”と呼ぶ声もあった。ただ、もしも機能していたら大洋も低迷から抜け出せたのではないかと思わせるのが“スーパーカー・クインテット”。一番から五番まで韋駄天が並ぶという機動力が魅力の打線だ。その5人目こそ助っ人の
ダグ・ローマンだった。
もともとポンセより高い年俸で先に契約して四番打者の候補だったのがローマン。実際、86年の開幕戦はローマンが四番だった。だが、あまりにもポンセが打ちまくったため、2人の打順が入れ替わる。キャラクターのマリオにはルイージという弟がいて、ローマンも口ヒゲを蓄えていたこともあって、ポンセが「マリオ」と親しまれた一方、ローマンを「ルイージ」と呼ぶ声もあった。だが、クインテットもルイージも、いずれも呼ぶ声にとどまってしまう。
加藤の故障で、まず“トリオ”が瓦解。兄に比べて地味な存在のルイージだが、敬虔なクリスチャンで祈るような打撃フォームのローマンも派手な存在とはいえず、その翌87年に大洋が
シクスト・レスカーノを獲得したことで、外国人枠の関係からファーム行きを命じられて、これを拒否して退団。そのレスカーノも20試合の出場で退団してしまったのは皮肉だったといえる。
写真=BBM