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真夏の祭典いざ開幕! 第95回都市対抗野球大会

【都市対抗】「250点」の野球人生 “ミスター社会人”トヨタ自動車・佐竹功年が現役引退

 

登板なく終戦


試合後の取材対応では、言葉を詰まらせる場面もあった[写真=矢野寿明]


【第95回都市対抗野球大会】
7月25日 東京ドーム
▽2回戦
三菱重工West9-2トヨタ自動車

 試合が終わると、40歳・佐竹功年(早大)は真っ先に一塁ベンチから飛び出した。整列後、グラウンドから歓声を送ってくれたスタンドへ向かって、しばし頭を下げていた。顔を上げ、高く掲げた両手を振ると、少し笑顔を見せてベンチへと引き揚げていった。

 第95回都市対抗野球大会7日目。第1試合、前大会優勝のトヨタ自動車(豊田市)は2対9で三菱重工West(神戸市・高砂市)に敗れ、連覇はならず。今大会を最後に、現役引退を表明していたミスター社会人・佐竹が19年間の社会人野球に別れを告げた。

 今大会は沖縄電力(浦添市)との1回戦で、同点の9回表に救援登板。二死一、三塁のピンチから四球を与えて満塁としたものの、次打者はチェンジアップで一ゴロ。一気に流れを引き寄せると、その裏にチームはサヨナラ勝ち。「今季はああいう厳しい場面での登板があると監督、コーチから言われていたので、ここで僕が抑えることが仕事だと思っていました。しっかりとまっとうできてよかったです」。この日の2回戦は出場がなかったが、登板に備えベルペンで投げ続ける姿があった。

2回戦での登板はなかったが、出番に備えてブルペンで準備を重ねた。最終回は一塁ベンチで鼓舞。時折、目尻を拭く素振りが見られた[写真=矢野寿明]


「入社以来ずっと、行けと言われたところで投げてきました。今日も準備はできていて、調子も1回戦のときより良かったのですが、投げたかったという思いは特にありません。マウンドに上がるかどうかはチームが決めることなので」

 試合後の取材では言葉に詰まり、目頭を押さえる場面もあった。

「楽しいことも悔しいことも、たくさん経験させてもらいました。今は感謝の気持ちしかありません」

社会人野球の発展のため


 佐竹が早大からトヨタ自動車に入団したのは2006年。14年には西濃運輸(大垣市)の補強選手として都市対抗で優勝し、16年には「19年間で最高の瞬間でした」と振り返るトヨタ自動車の初優勝に貢献。「会社の方々にやっと良い報告ができると思いました。野球ができているのは、会社に理解があるおかげですから」。昨年は7年ぶりに黒獅子旗を手にするも、全5試合で佐竹の登板機会はなかった。それだけ、投手層が厚いことを証明している。社会人日本選手権は優勝6回。社会人日本代表でも数々の国際大会で活躍。長きにわたってトヨタ自動車の「大黒柱」であり、社会人野球の「顔」であり続けた。

「若いころはストライクを取るのに精いっぱいでした。それが、狙ったところへ投げられるようになり、打者を見ながら投げられるようになってピッチングの楽しさを覚え、そして、逆に打たれるようになって。それもまたすべて良い経験でした」

目を真っ赤にさせながらも、取材対応後は笑顔で撮影に応じてくれた[写真=矢野寿明]


 今年1月に引退を表明してからも「何も変わりませんでした」と真摯に野球に向き合い、粛々と試合への準備を進めてきた。そして、引退を迎え「(野球人生の点数を付けるなら)250点。169センチの身長でここまで長くプレーできたんですから」と満点を大きく超える点数を付けた。藤原航平監督(中大)は「トヨタ自動車がまだ全国大会で勝てなかった頃から一歩ずつ、チームの目線を上げてくれた一番の功労者。『おつかれさま。ありがとう』と言いたい」と言葉を送り、主将の北村祥治(亜大)は「もっと良い花道を作りたかった。ベンチでは最後まで声を出してチームを鼓舞してくれて、存在感は大きかった。佐竹さんがチームに残してくれたものを大事にしてこれからもやっていきたい」と偉大な先輩の思いを引き継いでいくことになる。

 今後はトヨタ自動車に残ることは決まっているものの、野球部に携わるのかなどはまったく未定だというが、佐竹は「オファーが来たら精いっぱいやらせていただきたいですし、そうでなくても社会人野球を広めるためのPR活動などはやっていきたい」と展望を話した。これからは社会人野球の発展のため、第2の人生を歩んでいくことになる。

文=大平明
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