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2024夏の甲子園

【甲子園】“昭和の怪物”江川卓氏が「まぼろしの球場」でこの上ない「青春の一球」

 

開幕試合で始球式


「昭和の怪物」と言われた江川氏が始球式を行った。往年の投球フォームで甲子園のスタンドを沸かせた[写真=牛島寿人]


【第106回全国高等学校野球選手権大会】
1回戦 8月7日 第1試合
滋賀学園(滋賀)10-6有田工(佐賀)

 山なりのボールは、ワンバウンドでミットに収まった。滋賀学園の一番・多胡大将(3年)が空振りし、球審・美野は「ストライク」のコール。始球式を務めた江川卓氏(栃木・作新学院高出身)はマウンドを降りると両校の選手に対して「良い思い出を作ってくださいね」と言葉を交わした。

「残念だったのは、届かなかったこと。あれがストレートなんですよ(苦笑)。カーブに見えるでしょうけど、あれが今のストレートです(苦笑)。全力のストレートです。肩を痛めているので、練習すると、投げられなくなってしまうんですよ。自重しました。ぶっつけ本番です」

 しかし、往年の江川氏のピッチングを知るファンからすれば、懐かしさを感じたはずだ。ロジンを触った後、手首をややフラフラさせてモーションに入る。大きく振りかぶるワインドアップから、左足を大きく上げて投じた。

「覚えている方もいるかもしれないので、形だけは昔の形が良いかな、と。正直言うと、足をあまりにも上げ過ぎると、危ないんですよ。転びそうになる(苦笑)。ソコソコで」

 阪神甲子園球場の誕生から100年。「昭和の怪物」と言われた江川氏が始球式の大役を担った。日本高野連は「理由」をこう示した。

「高校時代は公式戦で無安打無得点を9度、完全試合2度達成、第45 回選抜大会では1大会通算最多奪三振60を記録するなど『怪物』と呼ばれた。今年は甲子園100年の年であり、球場の歴史の中でも鮮烈な印象を残した選手として始球式をお願いした」

 春夏連続出場した第55回大会(1973年)は銚子商高との2回戦、0対0の延長12回裏、一死満塁からの押し出し四球により敗退した。高校卒業後は法大で東京六大学リーグ歴代2位の47勝、巨人では135勝を挙げ、87年限りで現役生活を引退。高校野球で甲子園のマウンドを踏むのは、51年ぶりのことだった。

「個人としては年齢的にもギリギリ(5月で69歳)。なかなか投げられなくなってくるでしょうから……。歴史ある所で投げられるのは、重みがあること。選んでいただいたこと、これほどうれしいことはないです。18歳のときに戻って、同じ気持ちになって……。選手たちに挨拶したときに笑顔だったので、良い顔して野球をやっているな、と思いました」

高校球児へメッセージ


 甲子園球場とは──。そして、現役の高校球児へメッセージを送った。

「まぼろしの球場、まぼろしの場所なので。なかなか出られなかった。2回しか立っていませんから。(3年夏の)相手の銚子商は、素晴らしいチーム。負けましたけど、良い思い出としてある。1回戦で負けた学校も甲子園を目指している。3年間、続けるのは大変なことなんです。私もその後、野球を続けましたけど、つらさ、苦労はすべての通ずるものがある。野球ってミスのスポーツなんです。いろいろミスが出ると思います。人生ってミスだらけです。(それらを)受け止めて、これからの人生に生かしてほしいと思います」

 江川氏は始球式が決まると、日本高野連を通じてコメントを出した。

持ち帰った甲子園の土を見て
春と夏だけに現れるまぼろしの
場所に立った若き記憶が
よみがえります。
今回、チャンスをいただき
あの夏と同じ青春の一球を。
私にとって50年の空白を
貫く一球です。
江川卓

「あの夏と同じ青春の一球を。私にとって50年の空白を貫く一球です」

 今回の始球式で果たせたのかを聞くと、江川氏は答えた。

「これをどう、読んでいただいたか。伝え方はいろいろあるので……。皆さんが、どう書くかを楽しみにしています」

 巨人時代、何度も阪神との伝統の一戦で聖地のマウンドに立った。プロ野球と高校野球の景色は、まったく異なるものだという。100年、球児があこがれ、誰もが愛する阪神甲子園球場の2万9000人の観衆の前で、腕を振った。この上ない「青春の一球」となった。

文=岡本朋祐
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