ジョンソンと“二人三脚”?

低打率ながらホームランを量産したランス
1980年代は
広島の黄金時代。特に86年は助っ人ゼロでリーグ優勝を果たし、
西武との日本シリーズでは初めて第8戦にもつれこむなど、印象的なシーズンだった。ただ、その日本シリーズを最後に“ミスター赤ヘル”
山本浩二が現役を引退。その穴を埋めるべく補強された助っ人が
ランディ・ジョンソンと登録名「ランス」こと
リック・ランセロッティだった。
当時の外国人枠は2人まで。どのチームでも、助っ人2人はコンビっぽく見えたものだが、このジョンソンとランスも実にコンビっぽかった。年齢も同じで、ともに大のビール好き、ジャイアンツのAAA級フェ
ニックスから一緒に来日してマンションの部屋も隣、遠征では同じ部屋だったという。ランスはゲンをかついで剃ったり伸ばしたりしていたが、ヒゲまで一緒だった。一方で、グラウンドでは互いの欠点を補い合うような面があって、ジョンソンはシュアな打撃が持ち味という右のヒットメーカーであり、ランスは安定感が絶望的(?)ながらも本塁打を量産した左の長距離砲だった。
本塁打か三振か、という強打者は注目を浴びやすい。チームへの貢献度でジョンソンに軍配が上がっても、目立ったのはランスだ。当時、防虫剤のCMで「タンスにゴン!」というのが流行していたのだが、「ランスにゴン!」などといわれて、またCMのシュールな雰囲気と、極端に安定感を欠くランスの打棒も、なんとなく似ているような気もした。
ランスは打率でリーグ最下位を独走して、最終的には打率.218。この87年は2年連続パ・リーグ三冠王の
落合博満が
ロッテから
中日へ移籍、やはり2年連続セ・リーグ三冠王だった
阪神の
ランディ・バースとの激突が注目されたシーズンだが、本塁打王は39本塁打のランスだった。ちなみにランスは、わずか88安打。そのうち39本が本塁打だったことになる。また、4年ぶりリーグ優勝の
巨人に強かったことも、人気の要因だったかもしれない。
だが、その翌88年は、いわゆる“不良外国人”ぶりも目立つように。ジョンソンが故障もあって8月に退団すると、その後を追うように9月には退団している。
写真=BBM