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愛すべき助っ人たち

「天ぷら食べたいね」と再来日も…抜群の身体能力、盗塁王&首位打者の“黒いハヤブサ”【愛すべき助っ人たち】

 

ナイター好調の象徴となった男たち


来日1年目に61盗塁でタイトルを獲得したレインズ


 近年は盗塁王のタイトルから遠ざかっているオリックスだが、前身の阪急から韋駄天の系譜を誇るチームだ。筆頭は13年連続で盗塁王となった阪急の“世界の盗塁王”福本豊だろうが、その系譜にいるのは日本人選手だけではない。助っ人の打者には長打が求められるイメージも強いが、機動力に長けた助っ人が歴代に並んでいるのも阪急の特徴だった。

 一方、戦後になってプロ野球で初めて黒人の助っ人が入団したのも阪急だ。来日したプロバスケットボールのオーナーに黒人リーグの選手たちを紹介してもらい、1952年に入団することになったのが右腕のジミー・ニューベリーと内野手のジョン・ブリットン。ニューベリーは先発が予告されるほどの人気を博して、右腕をくねらせるような独特のフォームからスピードを抜いた落ちる球でチーム最多11勝を挙げながらもシーズン途中に退団したが、ブリットンは正三塁手としてリーグ5位の打率.316をマークして残留する。

 そして翌53年、歴史が動いた。新たに加入したのが、左腕のルーファス・ゲインズと内野手のラリー・レインズ。この53年は本拠地の西宮球場でナイターが始まったシーズンでもあり、阪急は特にナイターの勝率が高かったこともあって“夜の勇者”と呼ばれて、その象徴的な存在となったのが3人の助っ人だった。

 ゲインズは左腕から右打者の内角を鋭く突くカーブと外角低めへのスクリューで打者を翻弄して14勝。61盗塁と走りまくったのがレインズだ。そのオフにゲインズと、やや精彩を欠いたブリットンは退団したものの、レインズは続く54年に打撃のキャリアハイを迎えて、打率.337で首位打者に輝き、オフに帰国してインディアンスでプレーした。

 そして62年に異例の再来日。第一声は「天ぷら食べたいね」だったと言うが、それ以上に時間の流れは残酷だったのかもしれない。レインズは打っても走っても低迷。かつての輝きを取り戻せなかっただけでなく、プライベートの金銭トラブルなどもあって、秋に解雇された。のちに、入団の際に提出した書類すべてがレインズによる偽造だったことが判明している。

写真=BBM
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