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愛すべき助っ人たち

「すべて無駄だったね。同情してくれるかい?」スタルヒンも合流した球団の悲劇【愛すべき助っ人たち】

 

わずか3年、3年目を前に全員を解雇


ユニオンズの助っ人。左からレッカ、スタルヒン、ブッサン


 この2024年、西武高橋光成に連敗が続き、一方では広島が「高橋」姓の投手に連敗するなど、「高橋が連敗」「高橋に連敗」など、「高橋」と「連敗」を同じタイミングで目にする機会が多かった気がする。この文字を見て、頭の中で時代をさかのぼってしまったファンも少ないながらもいたのではないか。

 かつてのプロ野球には「高橋」という球団があった。この「高橋」とは、オーナーの姓。これを球団の名に冠した球団は現時点では唯一だ。フルネーム(?)は高橋ユニオンズ。2リーグ制5年目の1954年にパ・リーグへ参加、翌55年にはトンボ鉛筆がスポンサーとなったことでトンボ・ユニオンズとなり、3年目の56年は高橋ユニオンズに戻ったが、それが球団のラストイヤーとなる。

 とにかく勝てず、最下位を免れたのは1年目だけ。2年目は42勝98敗1分、優勝した南海(現在のソフトバンク)と57ゲーム差、3年目は57勝98敗4分、覇者の西鉄(現在の西武)に45.5ゲーム差で、わずか3年で球団の歴史に幕を下ろした。今回は、この3年間にユニオンズでプレーした外国人選手について振り返ってみたい。

 選手が少なかった高橋は外国人の獲得に熱心だった。まだ外国人の選手が在籍している球団のほうが少なかった時代、いきなり4人の選手を獲得している。筆頭はプロ野球の1年目から巨人でプレーしていたヴィクトル・スタルヒンだ。生涯、無国籍だったともされ、“助っ人”とカテゴライズしづらい存在だが、スタルヒンは55年に通算303勝でユニフォームを脱いでいる。

 ほかにも1年目には捕手のサル・レッカ、内野手のジミー・マケーブ、普段は教師で夏休みを利用して来日したという右腕のジム・ドゥールら。2年目も残留したのはスタルヒンとレッカで、新たに外野手のドン・ブッサンが加入して3人になったが、そのオフに3人とも解雇された。主な原因は資金難。それほど活躍できなかったこともあるだろうが、それでも人気はあったという。

「すべて無駄だったね。同情してくれるかい?」

 最後に会見でオーナーの高橋龍太郎がつぶやいた言葉がせつない。

写真=BBM
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