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愛すべき助っ人たち

【愛すべき助っ人たち】「処分は受けるが反省はしない」、そして前代未聞のラストシーン。“狂乱の”近鉄デービス

 

入団も退団も急だった


近鉄で猛打を発揮したデービス


 2004年を最後に歴史の幕を下ろした近鉄は、なにかとドラマチックな展開が多いチームだった。その傾向は助っ人も同様で、良い面も悪い面も群を抜いていたといえるのが1980年代の中盤に在籍していたリチャード・デービスだろう。

 入団から突然だった。1984年に入団もシーズン途中で退団したドン・マネーについては紹介したが、そこで急遽、入団することになったのがデービスだ。通算1623安打というメジャーでの実績を誇ったマネーの後で、デービスの実績は見劣りするものだったが、入団するや否や、すぐにアジャスト。78試合で18本塁打を放ち、打率.310と打ちまくる。翌85年がキャリアハイで、打率.343、40本塁打、109打点と、まるで三冠王のような数字。この85年はロッテ落合博満が2度目の三冠王となったシーズンで、打撃3部門のタイトルはなかったが、その後も指名打者制のあるパ・リーグで一塁と外野を兼ねて、四番打者として攻守でチームを支え続けた。

 ただ、86年には西武東尾修から死球を受けて激怒、乱闘に発展する。デービスは10日間の出場停止、10万円の罰金と処分を受けるが、東尾は打者の内角を容赦なく突く“ケンカ投法”を武器にしていて、デービスは「処分は受けるが反省はしない」と語った。不遜なようだが、このときは他にも東尾の“ケンカ投法”を批判する声もあり、チームメートの金村義明は2019年のベースボールマガジンで「チームのための行動だったと思っています」と振り返っている。だが、のちに“狂乱の助っ人”と言われることもあるデービス。それには、唐突に訪れたラストシーンの印象もあるかもしれない。

 やや失速した……といっても打率3割は維持しているのだが、前年までよりは成績を下げていた88年6月、大麻取締法違反で逮捕。解雇された。足かけ5年で通算461試合に出場して打率.331。近鉄の助っ人でも564安打と322打点は歴代4位、117本塁打は同3位で、実力が間違いなかったことが分かる。なお、その退団で急遽、入団することになったのが中日の二軍で“第3の外国人”としてくすぶっていたラルフ・ブライアントだった。

写真=BBM
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