「アジアと日本との関係性」を考える場

「早稲田大学野球部とアジア」を題材に語り合った。登壇した左から稲門倶楽部・亀田健氏、北嶋晴輝マネジャー、小宮山悟監督、黄鼎仁投手、日野愛郎野球部長[写真=BBM]
『ワセダアジアレビュー』は、「アジアと早稲田をつなぐ」をモットーに、早稲田大学アジア研究機構の機関誌として2007年に発刊された。機構長はかつて早大の元総長・奥島孝康氏(日本高野連元会長)が務めていた。2024年4月発売の26号からリニューアルし、早稲田大学台湾研究所から発刊している。今回のリニューアルに際して、出版記念イベントが10月28日、大隈小講堂で開催された。
第一部のシンポジウムでは「早稲田大学野球部とアジア」をテーマに、同部関係者とOB(稲門倶楽部)が「アジア野球論」を語り合った。早稲田大学野球部の活動を通して「アジアと日本との関係性」を考える場となった。
歴史的背景からもアジアと日本をつなぐ「架け橋」として、野球が持つ意味は果てしなく大きい。言葉、文化の壁を越えて、白球が国際交流の重要ツールとなってきた事実がある。国際交流は現役学生によっても見聞を広げる機会であり、生きていく上での財産となる。早大・田中愛治総長が掲げる「世界で輝くWASEDA」の理念に一致する取り組みだ。

早大・小宮山監督は現場で感じた、台湾の野球のレベルについて語った[写真=BBM]
2024年は2度(2、7月)の台湾遠征を実施。現地での活動を報告した。2月下旬には早大・小宮山悟監督以下、野球部員6人が訪問。台湾校友会では野球普及に尽力してきた最高顧問・謝南強氏と懇談。同氏と父・謝國城氏も早大出身であり「台湾野球の父」と呼ばれている。また、台北日本人学校や桃園市の亀山小学校で野球教室を開催。亀山小はリトルリーグ・ワールドシリーズ出場の常連チーム。NPB通算117勝でMLBも経験した小宮山監督は相当なインパクトを受けたという。あくまでも「私見」として、こう語った。
「キャリア十分のメジャーのベテラン投手と接した中でも、細かいところまで考えが行き届いていないと感じました。こちらから、ある場面で想定されるプレーの話をしても、彼らは理解を示さなかった。びっくりするぐらい野球を知らない(苦笑)。日本の野球を下支えしている高校野球、春、夏の甲子園大会では、ほぼプロと同じことをしている。選手としての能力をプロと比べることはできませんが、野球のクオリティーとしては、MLBは高校野球よりも劣っている。学生野球の監督として6年目。チームとして韓国に遠征(高麗大との定期戦)しましたが、力量はそん色ないですが、細かな部分はやはり、日本のほうが徹底されている。ところが、今回の台湾遠征で、亀山小学校の選手はびっくりする練習をしていた。教室を一部屋つぶして、ネットを張り、倒れるのかと心配するぐらい、必死にバットを振っていました。各世代が世界一を目指して努力していますが、数年後には抜かれる。それだけの衝撃。あぐらをかいている場合ではないと、危機感を覚えました」
嘉義農林を題材にした映画に影響を受けて
歴史をさかのぼれば、早稲田大学野球部と台湾の野球は、深い縁がある。1917年に初めて渡台。2017年には100周年記念試合を実施するなど、現在も交流が続く。100年以上前の同遠征が、台湾における野球普及のきっかけになった。1931年夏の全国中等学校優勝野球大会で、嘉義農林が準優勝。四番・エースで主将だった嘉義農林・呉明捷は早大に進学した。大学入学後に野手に転向し、36年秋に首位打者。在学中には慶大・
宮武三郎と並ぶ通算7本塁打を放ち、57年秋に立大・
長嶋茂雄(元
巨人)に更新されるまで約20年、東京六大学リーグの連盟記録だった。
嘉義農林を指揮したのは近藤兵太郎氏だった。約50年の指導歴があり、20代から30代にかけては松山商(愛媛)を率い、40代から50代は台湾、帰国後の60代は新田高(愛媛)で指揮した。新田高での教え子である稲門倶楽部・亀田健氏は「日本の正しい野球を教わったおかげで、今日がある」と、恩師の功績をたたえた。高校時代の思い出を語る。「(すでに高齢で)ノックを打つのもままならない。雨が降ると『ルールブックとノートを持って来い!!』となりまして、野球のイロハを学びました」。近藤氏は今年1月、台湾の棒球名人堂(野球殿堂)に選出。亀田氏は8月に行われたレリーフの除幕式に出席し、近藤氏の子孫のメッセージを代読した。

早大の4年生右腕・黄は台湾出身。嘉義農林で1931年夏の甲子園準優勝を遂げ、東京六大学で通算7本塁打の往年の大打者・呉明捷氏にあこがれ、早稲田大学を志望した[写真=BBM]
2014年には嘉義農林を題材にした映画『KANO 1931海の向こうの甲子園』が上映された。台湾でも公開され、影響を受けた小学6年生がいた。早稲田大学の4年生としてプレーする右腕・黄鼎仁(4年・新竹高)だ。
「周りの仲間も皆、KANOを見ました。呉明捷さんの早稲田での活躍を知り、早稲田大学にあこがれ、早稲田大学に入学しました。2月、7月の台湾遠征に参加しましたが、国際交流を通じて、お互いに理解を深めることができ、有意義な時間になりました」
亀田氏は壇上で、黄が新竹高時代に着用していた青いTシャツを披露した。背中には『球者魂也』とプリントされていた。精神野球とデータ野球の共存を目指し、近藤氏が提唱していた「球は霊なり」の意である。約100年のときを経て、同氏の教えが台湾で継承されており、亀田氏は「まさか、こんなところに生きているとは!!」と感慨深く語った。
黄は今秋の東大1回戦で、リーグ戦初登板(1回無失点)を果たした。100人以上が在籍する野球部の激しいチーム内競争を勝ち抜き、ベンチ入り25人を勝ち取ったのである。
早大は今春、7季ぶりのリーグ制覇を遂げた。今秋も勝ち点4で首位に立っており、優勝へのマジックは「1」。対象である明大が11月2日からの法大戦で1敗すれば、春秋連覇が決まる。しかし、早大・小宮山監督はこうした星勘定に興味を示さない。あくまでも「2季連続での完全優勝」に集中している。「主将の印出(
印出太一、4年・中京大中京高)も言っているが、我々は早慶戦でチームを完成形にする。勝ち点5を取るために必死に練習している」。11月9日からの早慶戦で、勝ち点(2勝先勝)を奪取することしか頭にない。
優勝しなければいけない一つの理由がある。小宮山監督の言葉にも、力が入る。
「国際教養学部に在籍している黄は9月卒業なんですが『最後の早慶戦まで一緒にやる』と、卒業を延期して学生をしている。リーグ優勝すれば、明治神宮大会に出場しますが、今年は記念大会であり、そこで優勝すれば台湾へ派遣してもらえる。彼を凱旋登板させたい。(チーム内にも)ゲキを飛ばしています」
44部ある体育各部を統括する早稲田大学競技スポーツセンターでは、2014年から各部員を対象とした「早稲田アスリートプログラム」を実施。学業と部活動を両立し、社会性と豊かな人間性を兼ね備えた人格形成を目指している。競技者として、勝利を目指すのは当然だが、技術向上以外にも、大学生として必要な「学び」がある。こうした定期的な国際交流を通じて、人としての幅を広げ、高いレベルでの文武両道を体現している。
文=岡本朋祐