待つ身で巡ってきたチャンス

早大との優勝決定戦を翌日に控えた11月11日、明大・田中監督は報道陣の取材に応じた[写真=BBM]
東京六大学リーグ戦は第9週の早慶戦で、慶大が早大に連勝し、勝ち点を挙げた。早大と明大が8勝3敗2分け、勝ち点4で並び、優勝決定戦が11月12日に行われる。優勝決定戦は2010年秋(早大10対5慶大)以来、14年ぶり。早大と明大の対決は1948年春(早大5対1明大)以来、76年ぶりである。
決戦前日。2020年から母校・明大を指揮する田中武宏監督は「いつもと変わらないです」と、午前8時30分の練習開始以降、活動拠点の「内海・島岡ボールパーク」の敷地内をランニングした。「走らないと、気持ち悪いんです(苦笑)」。神宮球場のリーグ戦で投手へアドバイスしに行く際、ベンチからマウンドまでの往復は、足取りが軽やか。63歳とは思えない若々しさである。
明大は第8週の法大戦で連勝し、先に全日程を終えていた。田中監督は法大2回戦後、今秋限りでの退任を自らの口で発表した。早慶戦の結果を待つ身で、チャンスが巡ってきた。
「もう1回、ユニフォームが着られる。挑戦権をもらえた。感謝です。生かすも殺すも、皆次第。今日の練習で、キャッチボールを始める際の掛け声をベンチで聞いていたんですけど、元気になっていましたね」
法大2回戦から中7日で、早大との決戦を迎える。不透明な状況ではあったが、優勝決定戦を信じて、充実の日々を過ごしてきた。
「4年生の就活生以外の部員は毎日、目標を持って生活をしてきた。メンバーはプレーオフ、1、2年生はフレッシュトーナメント、他のメンバーは週末からの静岡でのオータムフレッシュリーグが控えている。毎朝、全員で集まるんですが、ゲームに出たくて仕方ない選手ばかり。チーム内でありますが、紺白戦(一般的に言う紅白戦)で緊張感のあるゲームを消化してきました」

田中監督は全体練習開始後、ウォーミングアップ中にグラウンド周辺をランニングするのが日課。いつもと変わらない決戦前日を過ごした[写真=BBM]
田中監督は2020年1月に就任。「最初の2年間は思い出したくもない(苦笑)。無観客試合もありましたね……」。新型コロナウイルスと向き合う部運営が続いた。リーグ戦も5試合制、10試合制を経て、22年春から通常の勝ち点制(2戦先勝)が復活。「苦労したのはウチだけではないですので……。あの2年は長かったですが、この3年は早かった」。
22年春から23年春にかけて、明大として85年ぶりのリーグ3連覇へと導いた。22年秋には、明治神宮大会で優勝。「決勝の最後の打者が村松(
村松開人、
中日)への二ゴロだったんですが、投手の村田(
村田賢一、
ソフトバンク)が見事な一塁ベースカバーで試合終了。あれで終わるか……と。印象に残っています」。
宗山との思い出
2024年のチームをけん引する主将・
宗山塁(4年・広陵高、
楽天ドラフト1位)と過ごした思い出も多い。
「高校3年春、中井先生(哲之監督)とグラウンドに練習見学に来たんですが、宗山はじっと見ているだけ。一般的な高校生は、いろいろな反応を示すものなんですが、大学でやっていけるという手応えがあったんですかね(苦笑)。確かに高校時代から、あの守りは大学生のレベルに達していました。1年春の途中から遊撃手で起用してきましたが、宗山に向かってきた(レギュラー争い)のは村松だけ。村松が4年夏のオープン戦は先発で半々で使いましたが、右膝が万全ではなかったので、村松は二塁に回ってもらいました。宗山は自分から崩れることはなかったです」
リーグ戦では歴代7位の118安打。早大との優勝決定戦も「彼なりの普通をやってくれれば、結果が出る」と、何も心配はしていない。
早大の先発は慶大1回戦から中2日で、
伊藤樹(3年・仙台育英高)が予想される。「朝のミーティングでもアナリストから指示が出ていた。追い込まれてからの精度が高いので、その前にいかに仕留められるか」と万全の対策。明大の先発投手についても「本人にも言っています。かたくならずに行ってほしい」。リードすれば、終盤は「自信を持って、送り出せる」と、リリーフエースの浅利太門(4年・興國高、
日本ハム3位)が待機している。
田中監督がキーマンに指名したのは四番・杉崎成(4年・東海大菅生高)だ。今夏のオープン戦で結果を残し、自らの手で主砲の証明である背番号25をつかんだ。リーグ戦中盤以降は苦しむも、最終戦となった法大2回戦で2本の二塁打を放ち、復調気味だ。「(三番)宗山が警戒されて四球を取ってくれれば、四番の杉崎がやってくれるはず。(五番の)小島(小島大河、3年・東海大相模高)、(六番の)木本(木本圭一、3年・桐蔭学園高)は勝負強さを持っている」と、手応え十分である。
「歴史的なゲームを経験できるのは幸せです」
明大は今春から三塁ベンチの際は、アイボリーではなく、グレーのユニフォームを着用している。優勝決定戦は三塁。「私が明大1年秋、44年前に初めて来たのが、背番号38のグレーでした。最後もグレー。感慨深いものがあります」。東京六大学でのラストさい配。優勝決定戦に勝てば、明治神宮大会出場が決まる。内海・島岡ボールパークで、同じ屋根の下で学生ともに寝食をともにしてきた田中監督にとって、集大成のタクトである。
文=岡本朋祐