早大第50代主将
徳武氏は早大・小宮山監督からの打診を受け、2019年にコーチ復帰。同3月の沖縄・浦添キャンプでは、熱血指導した[写真=BBM]
東京六大学リーグ戦。早大戦のたび、自校とは逆サイドの内野席中段に座るOBがいた。「ベンチの采配がよく見えるんですよ」。シートに深く腰掛けていたのは、
徳武定之氏だった。視線の先には
小宮山悟監督が指揮していた。イニング中に、話しかけてはいけない。
一球一球の攻防を、鋭い視点でチェック。イニングが終わったタイミングであいさつ。そこで、試合のポイントを聞くのである。勉強になった。だが、この秋はその姿が一度も見られなかった。闘病中だった。
早大は11月12日、明大との優勝決定戦を4対0で下し、2季連続48度目のリーグ制覇を決めた。春秋連覇は9年ぶり。優勝決定戦は2010年秋(早大10対5慶大)以来、早大と明大が対戦するのは、1948年以来、76年ぶりだった(早大5対1明大)。
母校が天皇杯を手にしたのを見届けた2日後(11月14日)、徳武氏は悪性リンパ腫のため、東京都の病院で死去。86歳だった。
1938年生まれ。早実では3年夏の甲子園出場。
醍醐猛夫氏(元毎日ほか)と同級生で、2学年下には
王貞治氏(
ソフトバンク会長)がいた。早大では4年時に第50代主将を務め、秋には「伝説の名勝負」として語り継がれる1960年の早慶6連戦を戦った。
早大は2勝1敗で慶大から勝ち点奪取。9勝4敗、勝ち点4の同率で、慶大との優勝決定戦へと持ち込んだ。このプレーオフで2試合引き分け(延長11回、日没
コールド)の後、早大は再々試合で逆転優勝。当時の「四番・三塁」が徳武氏だった。
早大卒業後はプロ3球団(国鉄・サンケイ、
中日)で計10年プレー(打率.259、91本塁打、396打点)した。国鉄入団後、1年目から821試合連続試合出場(7年目の開幕3試合目で途切れる)の記録を持つ。
引退後は中日や
ロッテのコーチ、ヘッドコーチ、監督代行らを歴任。プロのユニフォームを脱いだ後は99年、早大で同級生(捕手)だった野村徹監督からの打撃コーチ打診を受けた。以来、應武篤良監督、岡村猛監督の下、14年まで後輩たちを指導してきた。
深い縁で結ばれた2人
早大は東京六大学リーグで春秋連覇。神宮の杜を舞った小宮山監督にとって、徳武氏は特別な存在。強い思いを心に秘めて、11月20日に開幕する明治神宮大会へと向かう[写真=矢野寿明]
2019年1月1日。小宮山悟氏が第20代監督に就任した。2人は深い縁で結ばれていた。
小宮山監督が早大からロッテにドラフト1位で入団した90年、徳武氏は同球団のヘッドコーチだった。また、小宮山氏は岡村監督時代に特別コーチとして、徳武氏の高い指導力を目の当たりにしていた。監督就任のタイミングで小宮山氏が「一緒にやってください」とサポート役を求めると、徳武氏は快諾した。
“息子"からの打診に、断る理由はなかった。徳武氏が早大時代に指導を受けた石井連藏監督は2期(58〜63年、88〜94年)にわたり早大の指揮官を歴任し、第79代主将だった小宮山監督の恩師にもあたる。そこには、世代を超えた絆がある。徳武氏の同期マネジャーだった黒須睦男氏は小宮山監督の義父という関係もあり、徳武氏は「私にとっては、子どものような存在」と語っていた。
小宮山監督は早慶6連戦の世代に、かわいがられていた。野村氏に対しても「学生野球監督のお手本」として尊敬の念を抱き、ことあるごとに相談してきた。早大の初代監督・飛田穂洲氏の高校(水戸中、のちの水戸一高)、大学の後輩である石井氏から薫陶を受けたという共通点がある。小宮山監督は飛田氏の教え「一球入魂」を、令和の学生に指導している。
徳武氏の熱血指導が、今も目に浮かぶ。打撃ケージの真後ろに立ち、一球ごとに助言。試合に生きる、納得のいくスイングができるまで続く。フリー打撃後も、室内練習場での個別メニューに付き合う徹底ぶりだ。
鳥谷敬(元
阪神ほか)、
青木宣親(今季まで
ヤクルトでプレー)、
中村奨吾(現ロッテ)、
重信慎之介(現
巨人)、
茂木栄五郎(現
楽天)らを指導。20年シーズン限りで退任するまで、早大のために汗を流した。
プロ入りする最後の“教え子”
指導現場から離れた後も、稲門倶楽部(早稲田大学野球部OB会)の一員として、後輩たちの面倒を見た。
蛭間拓哉(現
西武)、そして今年10月24日のドラフト会議で楽天から5位指名を受けた吉納翼(4年・東邦)がプロへ入りする最後の“教え子”である。
昨年11月11日、新チーム発足からしばらくして主将・
印出太一(4年・中京大中京)、副将・吉納、学生コーチ・川内脩平(4年・八王子)の3人は、徳武氏に自宅に足を運んだ。
主将・印出は「『早稲田の主将とはこうだ!! 歯を食いしばって頑張れ』と言われました。『圧倒的な結果を残すしかない。黙って、選手を導いていけ!!』と。勉強をさせていただきました」と明かした。2024年は春秋連覇。自身も春は打率.375、秋は打率.360と好リードでもけん引、2季連続でのベストナインを受賞し、大先輩との約束を果たした。
早大不動の三番・吉納は、徳武氏がOBとして関わり、プロ入りした最後の教え子。「泰然自若」を座右の銘に、全力プレーを貫いた。写真は明大との優勝決定戦、1対0の5回裏に放った右二塁打。この一打を口火に、早大は3点を追加した[写真=桜井ひとし]
吉納の座右の銘は「泰然自若」である。徳武氏から授けられた言葉だ。「早稲田の主砲として、いかなるときも、堂々としてほしい」との願いが込められていた。優勝がかかった今春の早慶戦1回戦では2本塁打を放ち、7季ぶりのリーグ制覇に貢献。大一番を前にスイングチェックをしてもらい、徳武氏から「大丈夫だ!!」と背中を押されていた。今秋は4本塁打、16打点もシーズン中盤以降は苦しんだ。東大、法大との2カードを終えて18打数8安打、4本塁打、15打点。ところが、残る3カードは29打数2安打、1打点と快音が聞かれなくなった。そこで、徳武氏からのアドバイスを思い出した。明大との優勝決定戦では2安打を放ち、有終の美を飾っている。
川内学生コーチは3年秋まで、神宮球場の徳武氏が座るシート横で、戦術等を学んできた。多くを参考にして最終学年、リーグ戦での実戦に落とし込んだ。9年ぶりの春秋連覇は、徳武氏の尽力もあったのである。
早大の秋の戦いはまだ、終わっていない。11月20日に開幕する明治神宮大会に出場する。早大の活動拠点である、安部球場の一塁ベンチのホワイトボードには「連覇を遂げ、神宮大会を制し『日本一』となる資格のあるチームになる」とある。今年6月、全日本大学選手権決勝で青学大に敗退した。小宮山監督は強さだけでなく、学生野球の模範となるチームを目指すべく、この言葉を自らで書いた。
小宮山監督にとっては“父”と言ってもいい徳武氏の思いも背負って「秋日本一」へ向かってタクトを振ることになる。
徳武氏は、野球をこよなく愛した。「早慶6連戦」でプレーした生き字引として、ことあるたびに64年前の経験談を発信していた。そして「六大学が盛り上がってほしい」と、来年に迎える連盟創設100年を心待ちにしていた。叶わなかったのは、無念に違いない。ただ、徳武氏が生前に伝え続けた早稲田大学野球部の神髄は、しっかりと後輩へつながれた。天国でも母校・早大の活躍を、定位置の神宮内野スタンドで鋭い目で見守る。合掌。
文=岡本朋祐