明徳義塾高を相手に完封勝利

横浜高の1年生・織田は、明徳義塾高打線を2安打完封した[写真=田中慎一郎]
11月21日 神宮
【第55回記念明治神宮野球大会】
▼2回戦
横浜高2-0明徳義塾高
第55回記念明治神宮野球大会の2日目(11月21)の第1試合、横浜高(関東地区/神奈川)が明徳義塾高(四国地区/高知)を2対0で下し、準決勝進出を決めた。
最速150キロの1年生右腕・織田翔希が2安打完封勝利を飾った。
「(好守を見せた中堅手で主将の)阿部さん(阿部葉太、2年)をはじめ、バックが守ってくれるので、自分も堂々と、自信を持って、自分が決めたボールを投げ切れた。『投げ切ること』が課題で、この舞台で次に勝ち進むことができたのは、自分の成長にもつながる」
福岡県北九州市出身。足立中では軟式野球で3年夏に143キロを計測し注目を集めた。「(中学で)硬式も考えましたが、ケガをするかな、と」。なぜ、神奈川の名門・横浜高を選んだのか。
「甲子園を見てきて、伝統のある学校。松坂さん(
松坂大輔、元
西武ほか)みたいな投手になりたい。高校時代の映像とかを見て、調べたりして、自分もこの舞台でプレーしたいと思いました」
1年春から県大会で登板経験を積んだ。同夏の神奈川大会も2年生左腕エース・奥村頼人との両輪で投げたが、東海大相模高との決勝で惜敗。この秋は県大会を制し、東農大二高(群馬)との関東大会準々決勝では公式戦初完投を、2安打完封(2対0)で飾った。浦和実高(埼玉)との準決勝で好救援(3回無失点)すると、健大高崎高(群馬)との決勝では先発し7回途中3失点と粘り、チームは延長10回裏タイブレークでサヨナラ勝ち。17年ぶりの関東大会優勝と、明治神宮大会出場に貢献した。
横浜高にとって、明徳義塾高は特別な相手である。エース・松坂を擁した1998年夏の甲子園準決勝では大熱戦の末に逆転サヨナラ勝ち(7対6)。2003年春の3回戦(延長12回、8対4)、04年夏の3回戦(7対5)といずれも横浜高が逆転で制していた。
2020年4月から母校を指揮する村田浩明監督は今年5月、高知遠征を敢行。バス12時間の移動で、明徳義塾高との練習試合で多くを学んだ。「どんな環境で練習しているのか。1球に打ち込む姿勢を見たかった」(村田監督)。帰りバス移動はミーティングとなり、遠征を振り返り、見習うべき部分を全員で共有した。だからこそ、今回の対戦は「恩返しの場」であったのである。
「自分の投球ができてよかった」

常に「選手とともに」と、熱血指導を展開している横浜高・村田監督の期待に見事、織田は応えて見せた[写真=田中慎一郎]
午前8時30分の試合開始に備え、事前準備にも抜かりはなかった。村田監督は1年生・織田と合宿所で4時起床。5時から学内にある人工芝の校庭で汗を流し、早朝プレーボールにピークを合わせる調整を繰り返してきた。
テーマは2つあった。まずは「入り」だ。
「チームとして『入り』を徹底している。初回、(イニングの)先頭を意識してきました。ピンチの場面では1個、ギアを上げる。走者を出したら併殺狙いなど、やるべきことに集中する」
次に、冒頭に語っていた「投げ切る」だ。
「監督との約束を果たせたので良かった。真っすぐ、チェンジアップは良かったですが、カーブが入らなかったので、スライダーでカバーすることができました」
明徳義塾高打線はバットを短く持ち、2ストライクに追い込まれてからは、カットで粘ってきたが、織田が動じることはなかった。
「カットされても、投げるボールに自信を持っているので、ビビったりすることはありませんでした。(捕手の)駒橋さん(優樹)を信頼して投げました。明徳義塾さんはこの秋の国体で優勝し、甲子園にもたくさん出場しているので負けられない。徹底力のあるチームで難しくなると思いましたが、自分の投球ができて良かった」
あこがれの松坂は1997年秋、2年秋の明治神宮大会で優勝。3試合で完封はなかった。つまり「松坂超え」となったわけだが、織田はあまり関心を示さず、何よりもチームの勝利を強調。松坂は98年夏の甲子園準決勝で明徳義塾高から救援勝利を挙げており、同校から全国大会で1勝をマーク。先輩と肩を並べたわけだが……。
「並んだとか言うよりは、ここに来たからには『やってやる!!』という思いのほうが強いです。この結果につながったので良かったです」
織田が1試合を投げ切れたのも、背番号1を着け、五番・左翼で先発出場する奥村頼の存在が支え。「後ろに控えていますから、安心して投げられる。頼人さんを信頼しています」。だが、エース番号へのこだわりは「1を着けたい思い? あります!! できるだけ早めに」と強くある。
「次も一戦必勝で、決勝に駒を進められたらいいです」。27年ぶりの「秋日本一」へ準決勝、決勝と万全のコンディションでスタンバイする。
文=岡本朋祐