3年ぶりのセンバツ出場は当確の立場
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広島商高の校長であり、広島県高野連会長・折田裕之氏が神宮球場のスタンドで見守った[写真=BBM]
11月25日 神宮
【第55回記念明治神宮野球大会】
▼決勝(高校の部)
横浜高4-3広島商高
第55回記念明治神宮野球大会の高校の部の決勝が11月25日に行われ、横浜高(関東地区/神奈川)が27年ぶり2度目の優勝。初出場の広島商高(中国地区/広島)は序盤の4点ビハインドから終盤に追い上げたが、1点及ばなかった。今大会3試合で伝統の「広商野球」を披露。春1度、夏6度の全国優勝を誇る「古豪復活」を印象づける大会となった。
広島商高サイドの三塁内野スタンドで後輩たちの活躍を見届けたのは、2022年から広島商高校長、広島県高野連会長の折田裕之氏である。同校OBで広島商の高野球部を監督として5年率い、1998年春のセンバツへ導いた。現チームを率いる荒谷忠勝監督は、高校時代に授業も担当していた教え子にあたる。
「真面目な男で、真っすぐな性格。妥協を絶対に許さない。器用か不器用な選手かと言えば後者かもしれませんが、芯がありました」
今秋の活躍を教育的視点からこう見た。県大会、中国大会で優勝し、明治神宮大会は準優勝。来年1月の選抜選考委員会を経て、3年ぶりのセンバツ出場は当確の立場にある。
「選手の頑張りに感謝。指導スタッフの頑張りに感謝。校長、県高野連会長として、この秋の活躍ぶりは、率直に心からうれしいです。全国の公立高校の励みにもなると思います。昨年夏、今年の夏は県大会決勝で敗退し、あと一歩のところでした。荒谷監督は毎年、戦力の違いはありますが、夏にはしっかりチームを仕上げてくる。選手の一人ひとりを見ても、スター選手はいませんが、個々が与えられた役割をしっかりやっている。『広商で野球がしたい』という子どもたちが入学してくれるのは、私どもとしてもうれしい限りです」
広島商高は「精神野球」が伝統としてある。荒谷監督は時代とともに、生徒の気質に合わせた指導を展開。折田校長も同様の考えだ。
「派手さはありません。まさしく、不易流行。継承すべきことはしっかりと伝え、変えていかないといけないことは変える。芯となるものは、持っておかないといけません」
昨年5月、荒谷監督は「広商野球」についてこう語っていた。
「広商野球というのは、部員が多い少ない、野球が上手い下手ではなく、基本的に組織で戦う。教育活動の一環であり、今の時代だからこそ、勝ち上がることに意義がある。言い伝えられてきた『広商はこうあるべきだ』という軸の下、最後は子どもたちが考えて、実践するのが、広商野球。うまい選手よりも、強い選手になろうや!! と言っています」
現場の思いは一緒である。
「令和の精神野球」の神髄
横浜高との決勝は、序盤2イニングで4点のビハインドも、終盤の粘りで1点差にまでした。収穫多き準優勝。折田校長は言う。
「この秋は、ここまで勝たせていただいて、結果を出しても、反省する部分はたくさんあったと思います。荒谷監督は常に、選手に課題を気づかせる指導をしている。冬場のチーム内での競争を経て、来年には、メンバーも大きく変わってくるはずです。チームが勝つため、組織力のある集団を期待しています」
今夏からレギュラーの主将・西村銀士(2年)は中学時代、練習見学した上で広島商高を志望した。その理由を「選手を中心として、練習を動かしている雰囲気」に惹かれたという。部員主導でチームを運営するのが「令和の精神野球」の神髄だ。広島商高は大正、昭和、平成、令和の四元号で全国大会勝利を挙げている全国7校のうちの一つ。今秋の明治神宮大会で新たな足跡を残し、来春へとつなげる。
文=岡本朋祐