野武士たちの青春時代
昨年2023年に亡くなられた元西鉄ライオンズの中西太さん。このたび怪童と呼ばれた中西さんの伝説、そして知られざる素顔を綴る一冊が発売されました。
書籍化の際の新たなる取材者は
吉田義男さん、
米田哲也さん、
権藤博さん、
王貞治さん、
辻恭彦さん、
若松勉さん、
真弓明信さん、
新井宏昌さん、
香坂英典さん、
栗山英樹さん、
大久保博元さん、
田口壮さん、
岩村明憲さんです。
今回は前回に続き1956年の話を抜粋します(一部略)。
中西にはマウンドでの若き鉄腕(
稲尾和久)の雄姿とともに、ふだんのかわいい後輩としての姿が印象深く残っている。
「わしは遠征では仰木(
仰木彬)君、稲尾君と同部屋になることが多かった。部屋子じゃな。2人ともわしの財布をあてにして遊んだもんや。旅館の浴衣を着たまま一緒にラーメン屋に行ったこともある。でも彼らのほうが大人だったな。わしのほうが子どもで、繊細なところもあった。わしは酒は付き合いだけだが、あいつらは夜の帝王だしね。わしが寝てから帰ってくることのほうが多かったよ」
稲尾の名誉のために付記するなら、中西との同室はプロ2年目(1957年)からだった。同年6月10日には、稲尾青年もめでたく20歳となっている。
中西の相部屋となると、必ずついてくるのが、伝説の素振りだ。
「わしは素振りをしないと眠れないので、彼らが寝ていても、かまわず振った。夏は素っ裸で素振りをしたこともある。当時はクーラーもないし、汗だくじゃ。服着てバットなんか振ってられんじゃろ。三原さんはよく『日々新たなり』と言っていた。その日のことは、その日で終わりなんだ。だから、その日にすべきことを後回しにしたらいかんということやな。単純なようで難しく、深い言葉だ。あのころ野手はマッサージなんかしてもらえんから、自分で柔軟体操をする、バットを振る。きついけど、地道なことの積み重ねが力になる。合宿や家の庭だったり、部屋のなかだったりしたけど、とにかく毎日バットを振った。予習、復習やな」
宿舎のガラス窓が揺れ、ガタガタと大きな音を立てた強烈な素振りはチーム内でも話題(苦情の的)となり、
三原脩監督がこっそりのぞきに行ったこともあった。
「寝るのが趣味」とも言っていた稲尾は、あくまでおとなしく部屋にいるときだが、中西が顔の上でビュンビュンとバットを振っていてもいつも高いびき。部屋でにぎやかに麻雀をしているときも平気で寝ていた。
あるとき、麻雀をしていた中西が、寝ている稲尾の頭をピシャリとたたいて起こしたことがある。
少し前に中西のタイムリーエラーで負けたことがあったのだが、稲尾が寝言で「サードに打たすな!」と言ったのだ。
「たまたまやないか! いつもしっかり守っとるやろ!」
もちろん、本気で怒ったわけではなく、そのあとみんなで大笑いになった。当時、20代前半がチームの主力となっていた。夜の宿舎で修学旅行のように大騒ぎし、相撲を取ったり、肩を組んで歌ったりもした。
西鉄黄金時代はまた、野武士たちの青春時代でもある。