「日本の野球の父です」

早大・小宮山監督は初代部長・安部磯雄氏の墓前に献花し、手を合わせた[写真=BBM]
2月11日。早稲田大学野球部にとって、歴史と伝統に触れ合う貴重な日だ。1901年創部。毎年、同野球部の「生みの親」である初代部長・安部磯雄氏の墓参が同日に行われている。
安部氏の遺族、稲門倶楽部(早稲田大学野球部OB会)、野球部からは日野愛郎部長、
小宮山悟監督、岡村猛先輩理事のほか、安部寮の寮生、4年生を中心とした参列者が、安部氏のお墓に献花を行った。
2019年1月1日から母校を指揮する早大・小宮山監督は、かつて稲門倶楽部副会長を務めていた以前からも、必ず足を運んでいた。
「雨に見舞われた記憶がないんです。晴れの特異日なのかもしれません。昨日が命日(2月10日)で今日が祝日(建国記念の日)ということで、稲門倶楽部の皆さんがお顔を出せるという配慮で始まったと思います。私の学生時代は4年生がお参りをし、その後は、OBが寮に来て、講堂でお話をされる流れでした」

旧安部球場の跡地[早大総合学術情報センター]には初代部長・安部磯雄氏[中央]と初代監督・飛田穂洲氏[左]の胸像がある。歴史と触れ合う1日となった[写真=BBM]
卒業生、現役学生、大学関係者は「安部先生」と呼ぶ。小宮山監督は改めて、功績を語る。
「日本の野球の父です。安部先生の先見の明がなければ、野球はどうなっていたか分からないので、我々は真剣に野球と向き合わないといけない使命がある。他大学さんから見れば『一人よがり』と見られるかもしれませんが、そういう思いを持って野球と向き合わないといけないのが、早稲田大学野球部と思っています。今年は1月5日から練習を開始していますが、授業との兼ね合いもあり、2月上旬から野球に集中できる練習環境となっています。私自身、安部先生に『今年も頑張ります』と報告した今日、この日が本当の意味での新チームのスタートという位置づけです」
先人のエピソード
献花の後、日野部長(政治経済学術院教授)があいさつした。安部氏は政治経済学部の初代学部長。野球部長は5代続けて、同学部の教授が務めてきた経緯がある。日野部長は「直系」にあたる先人のエピソードを披露した。
「今年は安部先生の生誕160周年であり、還暦(1865年3月1日生まれ)を迎えた1925年、100年前の秋が東京六大学野球連盟の創設の年です。前年秋に旧安部寮が起工され、すべて安部先生の設計により建てられ、2階建ての鉄筋コンクリート。うち1棟が25年春に落成されました。安部先生は稲門倶楽部員、並びに野球部員の家族も招待して、喜びを分かち合ったそうです。同年8月には戸塚球場(1949年の逝去後はその功績を顕彰し「安部球場」に改称)にスタンドが建設され、約2万人を収容できる球場となりました。その秋に最初の六大学リーグ戦が開催され、戸塚球場にて、1906年秋を最後に中断していた早慶戦が19年ぶりに行われました」

1925年春に完成した旧安部寮。現在も留学生の寮として、使われている[写真=BBM]
かつて、西早稲田にあった旧安部寮(1992年に東伏見へ移転)。日野部長は補足する。
「旧安部寮は現在、留学生寮として使われていますが、大学で最も古い建物となります。当時としては珍しい水洗トイレで、小宮山監督のお話によれば、帝国ホテルに次ぎ、2番目に設置されたのが旧安部寮だったそうです。ヨーロッパ式の出窓など、新しい造りでした。部員の自主性を育むという、先生のお考えから個室。自分のことは自分でするという『他人迷惑無用』の部訓に通じる考えが見て取れます。安部先生のお考えは、常に時代の先を進み、まさに『進取の精神』を体現したものであります。1905年。日露戦争の最中にアメリカ遠征(日本の野球チームとして初の海外遠征)を敢行したのは『若者は戦争ではなく、スポーツで競い合い、交流すべきである』というお考えがありました。今年は東京六大学野球にとって節目の年でもあり、どのようにして伝統と革新を融合していくことができるのか、考える機会にしていきたいと思います」
歴史を学ぶことで、新たな発見がある。心に染み入るメッセージだった。墓参後は旧安部球場跡地(総合学術情報センター)へと移動。安部氏と野球部の「育ての親」である初代監督・飛田穂洲氏の胸像に献花を行った。
稲門倶楽部・南川良典副会長があいさつした。学生たちに丁寧に歴史的背景を説明している。
「私は学生時代、このグラウンドで練習していました(1987年12月、現在の東伏見の安部球場に移転)が、(現在の)胸像がある場所は、当時のライト付近になります。安部先生が大学教授退職後の1927年、センター後方に大学が建てました。安部先生はいつでも練習を視察できることから『これほど愉快なことはない』という話も残っています。早稲田の先輩・伊丹安廣さんの著書には、安部先生は早稲田大学の発展のため、将来、この球場がなくなる日が来るかもしれないと予期していた、と。その際は一遇に残してほしい、と。安部先生はかつて、図書館長もされていましたので、今、ここは中央図書館で、その場に胸像があるのも、意義深いことだと思います」
背筋を伸ばした主将
この日は、稲門倶楽部・関口一行会長が所用のため欠席。現役学生に向けたメッセージを、南川副会長が代読した。
「今年は安部先生の生誕160周年、東京六大学野球連盟の創設100年であります。部員の皆さんには記念のこの年に早稲田が存在感を示し、これまで野球界、スポーツ界をけん引してきた早稲田のプライドを持って日々を過ごし、リーグ戦を戦い抜いてほしい。必ずや天皇杯を勝ち取り、6月、そして11月には改めて、この場所に戻り、小澤主将(周平、4年・健大高崎高)をはじめ、部員一同で優勝報告ができるよう頑張りましょう。稲門倶楽部一同、一生懸命、応援させていただきます」
第115代主将・小澤は背筋を伸ばした。
「いつも『安部球場=神宮球場』という意識で練習をするよう指導を受けていますが、安部先生、飛田先生が作り上げた伝統を、先輩方が継いできた。その歴史の重みを実感する1日となりました。今日をきっかけにして、さらに、東京六大学野球、早稲田大学野球部の知識を深め、学んでいきたいと思います」
早大は昨年、9年ぶりの春秋連覇を遂げた。今春はリーグ3連覇がかかるが、小澤は「連覇は考えず、春に優勝することだけを考えています。自分たちの代で、この春を狙うという位置づけです」と足元をみつめる。
「知識は学問から、人格はスポーツから」
創部当時から、安部氏が掲げてきた言葉を胸に「文武両道」の精神を全うする。そして、学生野球の模範となるべく、活動を続ける。
文=岡本朋祐