スケールの大きい選手

昨年限りで引退した梶谷。最後のユニフォームは巨人だった
コンディションが万全だったら、まだまだ一軍で活躍できただろう。昨年限りで現役引退を決断したのが、元巨人の
梶谷隆幸だ。
スピードとパワーを兼ね備えたスケールの大きい選手だった。
DeNA在籍時に
中畑清前監督に素質を見いだされ、遊撃のレギュラーに抜擢された。守備に不安を抱えていたため、2014年に外野手に転向すると39盗塁をマークして盗塁王を獲得。翌15年は打率.275、13本塁打、66打点、28盗塁で自己最多の143安打を記録した。当時のDeNAは
筒香嘉智、
宮崎敏郎と若手が頭角を現していた変革期だったが、梶谷も成長株の筆頭格だった。その後に右肩痛や腰痛など故障で苦しんだ時期があったが、20年に打率.323、19本塁打をマーク。確実性が課題だったが、逆方向の左翼にヒットゾーンを広げたことで安打を量産し、首位打者争いを繰り広げた。
梶谷は週刊ベースボールのインタビューで、高打率を残せた要因を振り返っている。
「18、19年も逆方向の意識はあったんですけど、技術の問題でできませんでした。このときは習得できなかったものが、ようやく昨シーズン、自分に合っている逆方向への打ち方はこれだろうな、というのが分かって、試合でも表現できるようになったことで、.323という打率につながったんだと思います。3年掛かりの逆方向ですね。今季もこの感覚と技術をすごく大事にして、練習しています」
「状況によりますが、基本的に追い込まれてからこのバッティングをします。よく言われる『ボールを長く見る』ということは考えていません。引き付ければ引き付けるほど、手が出なくなってしまうんです。ですから、振る位置を変えるようにしています。ノーストライクであれば前で、追い込まれると、左手で真下にハンマーを振り下ろす感覚でバットを振り下ろします。ボールを引き付けてスイングするのとは、バットの出方、軌道が違うと思います」
「このとき、自分の体をボールから離して、距離をとる。で、一般的な考えと違って、僕の場合、開いたままで打ちたいんです。右サイドのカベは一切気にしない。カベを作って右肩を閉じたり、ひねったりすると、あとは振るしかなくなる、と経験して分かっているので。閉じて開くと、バットも遅れて出てきてしまいます。それが嫌なので、僕は開いて、そこから自分の出したいときにバットを出していくんです。開ければ開けるほどいい。で、追い込まれてからはこの状態から左手でバットを振り下ろし、ボールを切るイメージ。そうやってボールを切ると、打球はレフト前に行く。ようやく、この形にたどり着きました」
巨人移籍後は故障との闘い
身体能力の高さに加えて高度な打撃技術をつかみ、ここから全盛期を迎えると期待された同年オフ、巨人にFA移籍した。
チャンスメーカーとして期待が大きかったが、待ち受けていたのは故障との闘いだった。移籍1年目の21年は左太もも裏の違和感、死球による右手甲骨折で61試合出場に終わる。10月に腰椎椎間板ヘルニアの手術を受けたが、翌22年3月に左膝痛を発症。5月に左膝内側半月板の縫合手術を受けて一軍出場なしに終わった。23年は育成契約から再スタートし、開幕前に支配下昇格。102試合出場で打率.275、2本塁打、19打点をマークした。
阿部慎之助監督が就任1年目の昨年。チームに勢いをつけたのが梶谷だった。開幕戦に「三番・右翼」でスタメン出場すると、3回一死一、二塁のピンチで三番・
森下翔太の右中間を抜けようかという打球をダイビングキャッチ。すぐに立ち上がると返球し、一塁に戻れなかった
中野拓夢をアウトで併殺にした。打撃でも1点リードの5回二死二塁で1号右越え2ラン。白星発進の立役者となったが、4月3日に古傷の左膝に違和感を覚えて登録抹消に。1カ月後に一軍復帰したが、わずか4日後に左膝痛を再発してグラウンドを離れた。懸命なリハビリも1軍復帰は叶わず、5月5日の
阪神戦(東京ドーム)が現役生活で最後に出場した試合となった。
巨人でプレーした4年間で一度も規定打席に到達できず、最終年は6試合出場に終わった。「とにかく体がついていかなかった。少し前に決心を固めていて、それからは後悔はないが寂しい気持ちだった」と振り返った上で、阿部監督に伝えた際は、「『限界か、カジ』と。(自分の)心中を察してくれて、愛情を感じた」と感謝の思いを口にした。
プロ通算18年間で1064試合出場し、打率.270、126本塁打、441打点、162盗塁。通算980安打だった。DeNAや巨人の関係者から「故障がなければ2000安打に届く選手だった」という声が聞かれたが、悔いはない。「自分なりにやり切ることができた。DeNAで14年、巨人で4年。入団したときは18年もできるなんて考えられなかった。18年もできたことを誇りに思う」。セカンドキャリアでも輝くことを願うばかりだ。
写真=BBM