227日ぶりの実戦マウンド

湯浅は再び甲子園のマウンドに戻ってくることができるか
完全復活に向け、少しずつ前に進んでいる。国指定の難病「胸椎黄色じん帯骨化症」の闘病生活を経て、マウンドに戻ってきた
阪神の
湯浅京己だ。
2月22日の練習試合・ハンファ戦(具志川)で、昨年7月以来227日ぶりの実戦マウンドに。7回から登板して一死一、三塁のピンチで暴投により失点したが、その後は2三振を奪って最少失点で切り抜けた。1回1安打2四球1失点。制球が定まらず、球の精度を磨かなければいけない。ただ、投球内容以前にマウンドに戻ってきたことに大きな意味がある。
ドラフト6位で入団し、プロ4年目の2022年に59試合登板で2勝3敗43ホールド、防御率1.09で最優秀中継ぎ投手賞を受賞。23年に侍ジャパンでWBCに出場して世界一を経験した。シーズン中は右前腕痛、左脇腹筋挫傷で長期離脱するなど、15試合登板で0勝2敗8セーブと悔しい結果に終わったが、
岡田彰布前監督の期待は大きく、
オリックスとの日本シリーズで復帰登板。同点で迎えた4戦目の8回二死一、三塁のピンチで4カ月半ぶりに一軍登板すると、初球の149キロ直球で
中川圭太を二飛に打ち取って無失点で切り抜けた。5戦目も2点差を追いかける8回に登板すると、最速152キロの直球を武器に2奪三振で三者凡退と完ぺきな投球で逆転劇を呼び込んだ。連日の好救援でチームに流れを引き寄せ、38年ぶりの日本一に大きく貢献した。
向上心旺盛な右腕
昨年の春季キャンプでは、左足を上げて止めてから投げる従来のフォームから、着地まで止めない新たなスタイルを試みていた。向上心旺盛な右腕は現状維持で満足しない。週刊ベースボールのインタビューで以下のように語っていた。
「ここは、満足したら終わりという世界だと思っています。これから先、どんないい成績を出したとしても、満足はしないとも思うんです。今までも満足したこともないです。それに昨年、リーグ優勝、日本一に僕自身がまったく貢献できなかったことも、めちゃくちゃ悔しかったので、もっと良くなるためにはどうしたらいいのだろうと、リハビリ中から考えていました」
「(日本シリーズの)あの場面で投げさせてもらえたことには感謝しかないですし、うれしかったですし、あの形でシーズンを終えたのはよかったと思います。それが僕の中でプラスになりました。だからこそ、もっと成長したい思いが強くなりました。投げろ、と言われたら、そのイニングでしっかり投げていきたいと思っています。それと同時に、僕自身が目指す場所はやはり『抑え』だと思っています」
体に生じた異変
守護神奪回に闘志を燃やしていたが、体に異変が生じていた。ウエスタン・リーグで25試合登板して2勝2敗5セーブ、防御率7.48と試行錯誤を続け、7月10日の登板を最後に戦線離脱。病院で検査を受けると胸椎黄色靱帯骨化症に罹患したことが判明し、福島県内の病院で胸椎黄色靭帯骨化切除術を受けた。リハビリに打ち込み、一軍登板なしに。チームも後半戦の猛追が実らず、リーグ連覇を逃した。
一軍復帰に向けて順調に階段を上がっているからこそ、焦りは禁物だ。過去に
三嶋一輝(
DeNA)、
福敬登(
中日)、
岩下大輝(
ロッテ)が黄色靱帯骨化症の手術を経て一軍に復帰している。三嶋は手術後の意識の変化について聞かれ、「術前よりも“今できることを丁寧にやる”意識を大事にするようになりましたね。もちろん今もマウンドで自分のスタイルを表現しようとしていますが、術前はそれに加えて、とにかくいいものを見せよう見せよう、という思いが先行していました。ただ、今は、現在の自分をしっかり理解して、できることを全力で丁寧にやろうという考えです。それも手術をして、自分の体と向き合ったからこそ出てきた意識だと思います」と振り返っている。
湯浅は難病を乗り越えて、一軍のマウンドに上がったときにどのような心境になるだろうか。25歳とまだまだ若い。紆余曲折を経て、野球人生の全盛期はこれからだ。
写真=BBM