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「和田のボールは気色、悪い(笑)」恩師・野村徹氏が回顧する和田毅氏の成長過程

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ズバ抜けていた考える力


3月15日の引退試合。セレモニーでは早大の恩師にあたる野村徹氏のビデオメッセージが流れた。背番号21の和田氏は、ホークスビジョンに見入った[写真=湯浅芳昭]


 昨季までソフトバンクでプレーした和田毅氏(球団統括本部付アドバイザー)が3月15日、日本ハムとのオープン戦(みずほPayPay)で引退試合のマウンドに立った。先発した1回表、一番・清宮幸太郎を134キロのストレートで空振り三振に斬った。日米通算165勝。22年の現役生活にピリオドを打った。

 試合後の引退セレモニー。早大で4年間指導した野村徹氏(88歳)によるビデオメッセージが、ホークスビジョンに流れた。恩師から教え子へ約1分間、労いの言葉であった。

「これから彼はプロ野球人生を終えて、第二の野球人生になりますが、これまでの彼の人間力がどういう形で、この野球界で発揮されるか、私はものすごく楽しみにしております」

 この真意を、野村氏に聞いた。

「和田は学生時代から科学的なトレーニングなども研究してきており、プロの現役時代を通じて、相当な見識を持っている。昭和の人が野球界を統率する時代ではない(苦笑)。最近は情報が氾濫するほどあり、選手のほうが、知識が豊富であるとも聞きます。これらの情報を整理する意味でも、認識のある人でないと務まらないと思います。日本球界全体のために、普及・振興に期待しているんです」

 なぜ、和田は22年、プロの第一線でプレーすることができたのか。

「人よりもズバ抜けた力のある人がプロ入りするわけですが、そこで、一流とはどういう選手を指すのか。その差は、考える力。自分で打開する力があるか、だと思います。これは、教わってできることではありません。振り返れば、和田は大学時代から自立していました。高校までの教育、家庭環境に恵まれており、そこに加え、人間性があったわけです」

 浜田高(島根)から早大に入学した1999年を回顧する。

「128キロしか出ない(苦笑)。肩でも痛めているのかと思ったんですよ……。でも、そこから自らで考え、努力を重ねていった。発想力がすごい。学生野球とは、やらされるものではなく、課題を見つめ、自発的に行動し、実践するものであると考えていたんです。私は一言も口出しをしませんでした。走ること一つを取っても、他の学生とは意識レベルが違う。目的を持ち、ピッチングにつながるランニングをしていました。キャッチボールも繊細。一球一球、体の動きを確認しながら、丁寧に投げる。キャッチボールの出来が悪かったら、ブルペンに入らず、ひたすら基礎メニューをこなしている姿も見てきました」

早慶戦で「レジェンド始球式」


 野村氏が「確信」した試合がある。2001年4月2日。3年春の開幕前に組まれた社会人対抗戦(神宮)である。相手は前年の都市対抗で優勝した三菱ふそう川崎。先発した和田は強力打線に対して5回1安打無失点。打者16人に対して13奪三振と、圧倒したのである。

「バットにボールが当たらない。あの一戦で『出来上がった』という実感がありました」

 4年時は早大として52年ぶりの春秋連覇の原動力となり、法大・江川卓氏の443奪三振を更新する歴代1位の476奪三振をマークした。和田が卒業した翌年、主将・比嘉寿光(元広島)、鳥谷敬(元阪神ほか)、青木宣親(元ヤクルトほか)、由田慎太郎(元オリックス)、田中浩康(元ヤクルトほか)、武内晋一(元ヤクルト)と、旧チームからの野手が残ったチームは、早大史上初の4連覇を遂げている。

「4年生・和田の姿勢を見て、レギュラーだけでなく、3年生以下も成長したのは間違いないです。ついつい見て、マネしたくなるもの。学生は考えて、実践する力を身につけないといけないことを、和田が示してくれました。鳥谷、青木も和田の取り組む姿に影響され、心身ともレベルアップ。4連覇の功績は、和田の力が大きかったと私は見ているんです」

今春の早慶戦で「レジェンド始球式」に登場する。2002年秋以来、早大のユニフォームを着た雄姿が見られるはずだ[写真=BBM]


 東京六大学野球連盟は2025年、創設100年を迎え、3月7日に記念イベントが発表された。和田氏は5月31日の早慶戦で「レジェンド始球式」を行うことが明らかになった。満員の観衆の中で、神宮のマウンドに上がる。

「体調が良ければ、ぜひ、現地で和田の最後の雄姿を見届けたいと思っているんです。思い出の神宮球場で、早稲田のユニフォーム、背番号18で投げる。(早稲田大学野球部OB会である)稲門倶楽部には、準備をお願いしておかないといけないですねえ(苦笑)。和田の引退の場としては、最高のフィナーレとなるはずです。スタンドから拍手で『ご苦労さん!!』と、送り出したいと思っています」

 そこで、2人だけのやり取りがあった。

「和田からは『(始球式の)ボールを受けてくれませんか』と言われましたが『よう受けん(苦笑)』と。和田のボールは気色、悪いんですよ(笑)。(現役時代に捕手だった)私は早稲田の監督時代、ブルペンで投手陣のボールをよく受けていましたが、和田だけは無理だったんです。ボールがウーッとくる。140キロでも、手元でボールが落ちない。打者が苦戦する理由が分かりました。つまり、和田のボールは初速と終速の差がなかったんですね」

 最後に、こう言った。

「和田の成り立ちを知っているだけに、感慨深いものがあります。考え、真摯に練習と向き合えば、あそこまでなれることを証明した。ビデオメッセージでも言わせてもらいましたが、教え子の最後の一人であり、一層、寂しさがありますが、本当に立派なエースでした。数々の故障を乗り越え、頑張ってきた。『ご苦労さん』。私からは、この一言しかありません」

 和田は早稲田大学野球部の初代監督・飛田穂洲氏の教えである「一球入魂」を体現する左腕だった。日本球界に財産を残し、ユニフォームを脱いだ今後は、伝承する立場となる。

文=岡本朋祐

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