底知れぬ「母校愛」

健大高崎高との準決勝で勝利し、校歌を歌う横浜高・村田監督[右から2人目]。左にいる高山責任教師[野球部長]との信頼関係は抜群である[写真=宮原和也]
センバツ高校野球大会は3月30日、
阪神甲子園球場で決勝(12時30分プレーボール)が行われる。19年ぶり4度目の優勝を目指す横浜高(神奈川)は、智弁和歌山高と対戦する。
横浜高は昨秋の新チーム結成以降、公式戦無敗の19連勝中だ。神奈川県大会、関東大会、明治神宮大会でいずれも優勝している。
快進撃を続ける理由は、4つある。
まずは、2020年4月1日から横浜高を指揮する村田浩明監督の底知れぬ「母校愛」である。
2019年9月末、横浜高に激震が走った。元部長と前監督による不祥事が発覚。学校側はすぐさま事実確認した上で、2人を指導現場から解任した。17年からコーチだった高山大輝コーチが監督代行として、チームを守った。「この先、どうなるか……。かつて近畿の強豪校でもあったように、正直、最悪のことも考えていました。不安の中でやっていました」。学校はこの間、男女共学化される翌春の新年度に合わせて、後任監督の選定に動いていた。
白羽の矢が立ったのは、20年3月31日まで県内の県立校・白山高に勤務していた村田監督だった。村田監督は現役時代に捕手で、2年春のセンバツでは1学年上の左腕・
成瀬善久(元
ロッテほか)とのコンビで準優勝。3年時には主将で同期の
涌井秀章(
中日)とバッテリーを組み、夏の甲子園で8強に進出した。日体大では右肩の故障もあり、恩師・渡辺元智元監督から「指導者を目指しているのなら、ウチで勉強したらどうか」と声がかかる。大学3年時から2年間、コーチを務めた。
「神奈川は公立校の甲子園出場が途絶えていたので、チャレンジしたいと勉強しました」。
大学卒業後は神奈川の保健体育科の教員となり、霧が丘高で部長を4年、13年からは白山高で7年間、監督を務めた。熱血指導で県上位校へと育て上げ、軌道に乗っていたタイミングでの母校からのオファーだった。家族もおり、相当迷ったが、渡辺元監督からの「お前しかいない」の言葉が決め手。大ピンチだった母校再建のため、腹を決めたのである。
21年夏、22年夏の甲子園出場へ導いたが、名門復活への途中過程。翌年から2年は屈辱を味わう。23年は慶應義塾高、昨夏は東海大相模高との神奈川大会決勝で無念の逆転負けを喫した。精神的にも、深い傷を負った。「苦しかった……」。勝利が宿命とされる重圧に、押しつぶされそうになったが、逃げなかった。「この子たちと勝ちたい」。昨秋の新チーム結成以降は学校、寮、グラウンド、自宅でほとんどの時間を過ごした。「一人になるのは、帰宅前に立ち寄るコーヒーショップ。そこで、チームのことをいろいろ考える」。百戦錬磨の渡辺氏からのアドバイスが、心をつないだ。
「苦しみの中に入っていって、乗り越えれば、さらに強くなる。目標は常に高く全国制覇」
スタッフの充実
監督とは孤独な職業である。しかし、指揮官は人をうまく配置し、活用した。横浜高の快進撃の2つ目の要因は「スタッフの充実」だ。
高山部長は横浜高では
筒香嘉智(
DeNA)と同級生で創価大、航空自衛隊千歳でプレー。豊富な社会人経験が生徒指導に生かされている。村田監督を参謀役として支え、指揮官が現場に集中できる環境を整える。21年4月に部長に就任したのは名塚徹氏。神奈川県高野連の理事長を10年務め、21年3月で定年退職。村田監督とは霧が丘高時代の同僚で、名塚氏が村田監督を当時、神奈川県高野連の理事に勧めた人物である。村田監督にとって特別な上司であり、大切な存在。生徒の心のケアに当たっている。22年に部長職を高山氏に継ぎ、名塚氏は特別顧問に就任した。
コーチには横浜高OBではない、新たな人材を加えた。23年に赴任した渡邉陽介コーチは川崎北高で佐相真澄氏(25年1月24日死去)の薫陶を受け田奈高、川崎工科高で指導実績を重ねた。神奈川県高野連の理事を務め、村田監督との縁で就任した。Bチームを任されている。24年に就任した小山内一平コーチは横浜高と関係性があり、私学教員へ転身した。投手指導を担当。釜利谷高卒業後、DeNAの球団スタッフ、米独立リーグでプレーし、帰国後は帝京平成大へ進学。その後、臨時的任用職員として大師高に赴任。今春のセンバツに21世紀枠で出場した野原慎太郎監督が横浜清陵高へ異動後、同校の監督を務めた。
この5年で、理想的な指導体制が確立された。名塚特別顧問は「村田先生と高山先生はあと、30年できる。この2人でチーム運営していけば、良いチームになる」と太鼓判を押している。「チーム横浜」の結束力は絶大だ。
保護者の協力、キャプテンシー

横浜高のアルプススタンド[健大高崎高との準決勝]。指導者、野球部員、保護者が一枚岩となっている象徴だ[写真=牛島寿人]
快進撃の3つ目の要因は野球部の主役である部員と、生徒を支える「保護者の協力」だ。
村田監督の指導方針を理解した有力選手が、全国から集まってくる。渡辺元監督と同級生タッグを組んだ小倉清一郎元部長で築き上げた「YOKOHAMAブランド」にあこがれる中学生は後を絶たない。村田監督が求めるのは、勝つことだけではない。技術向上の以前に、高校生としての立ち居振る舞いを大事にする。あいさつ、掃除。安定した学校生活、寮生活が基本にあっての部活動という認識だ。
「保護者、選手、指導者が一枚岩になれば強くなる。保護者の協力なくして、良いチームはつくれない」(村田監督)。昨年12月には、学校内の視聴覚室にて「第1回お笑い大会」を開催した。村田監督が自ら司会進行役を務め、盛り上げ役に徹し、相互の親交を深めた。
そして、最後に4つ目の要因は主将・阿部葉太(3年)のキャプテンシーである。2年生5月から異例の主将に就任。村田監督は3年生に配慮しながらも「名門」を追い求めるため、下級生キャプテンという劇薬を投じた。2年連続で夏の神奈川大会準優勝という課題を受け止め、試合のための生活、試合のための練習を実践。「戦う集団」をつくり上げた。
大会前に「名門校」の定義について、村田監督はこう語っていた。「あいさつ、取り組み、姿勢、すべてが優れている。(名門を)維持するのは難しい。そこばかりを話しています」。3月18日のセンバツ開会式は出場32校中、最も声が出ており、キビキビしている印象があった。大会への入りは最高だった。村田監督は高校3年春のセンバツ決勝で準優勝。ある意味、天と地を味わっている。だからこそ、決勝は負けられない。今大会、甲子園で4試合を勝ち上がり、機は熟したと言える。
文=岡本朋祐