神奈川では71年ぶりに県立高校がセンバツへ

横浜清陵高・野原監督は21世紀枠で出場したセンバツでの経験談を話した[写真=BBM]
春季神奈川県大会の組み合わせ抽選会が4月3日、横浜市内で行われた。地区予選を勝ち抜いた80チーム(選抜出場2校は免除)の対戦カードが決まり、試合会場を組み入れる時間帯を利用して、講話が行われた。第97回選抜高校野球大会で横浜高が19年ぶり4度目の優勝を飾り、21世紀枠では横浜清陵高が神奈川県勢として初出場。横浜高・村田浩明監督、横浜清陵高・野原慎太郎監督がそれぞれ登壇し約15分、甲子園での経験談を80チームの代表者(各校部員2人)の前で話した。
横浜清陵高は神奈川県では1954年の湘南高以来、71年ぶりとなる県立高校としての春センバツ出場。野原監督は、4つの学びを披露している。
【1】信念を貫くことの大切さ
「21世紀枠で出場させていただくとは、微塵も感じていませんでした。話題にも出したこともありません。『甲子園で勝ちたい』ということだけを目標に毎年、チームをスタートさせてきました。センバツで言えば、秋の関東大会での上位進出が選出への重要資料となり、夏の選手権は神奈川大会で優勝すること。それ以外のことは考えていないチームです。東大に入るような進学実績があるわけでもなく、学校の体制が変わって7年目と伝統があるわけでもない(2校の再編統合後、17年に改編され現校名)。特別なボランティアをしてきたチームでもない。つまり、21世紀枠としてふさわしい取り組みをしてきたというよりは、技術的には低いですけど、一生懸命、甲子園を目指してきたチームです。今回選出していただいた『自治』への評価、女子部員の取り組みも、甲子園に行くために必要なこと考え、実践してきました。その信念、取り組みが評価され、甲子園につながりました。自分たちが一番不思議な気持ちであったのが、率直なところでありました。不思議ではありましたが、誰かが、どこかで取り組みを見てくれている。人の評価、人の目に左右されず、自分たちのチームが大事にしてきたことを貫く大切さを学びました。日々の活動を信じて、やり抜いたその先に、答えがあるんです」
【2】甲子園を目指すこと
「部活動の答えは一つではないと思います。県大会出場、打倒・シード校、ベスト8、勝つことよりも放課後の居場所など、いろいろな目的、目標があっていいと思います。ただ、どんな部活動にしたいか、納得することが大切です。今回、センバツを経験させていただき、甲子園は目指すに値する場所でした。素晴らしい場所でした。(時間が経過した今でも)一言では消化しきれない部分もあります。監督の立場からすると、人の心に触れる機会がたくさんありました。出場決定後は『頑張れ!!』『応援しています!!』という激励のメッセージをはじめ、涙を流して『ありがとう!!』と言っていただいた卒業生、地域の方もいました。試合当日は、スクールカラーであるコバルトブルーがアルプス席を埋めていただきました。甲子園はベンチが低いので、大声援が聞こえてくるんです。心に残る応援。ゲーム展開としては点差がついてしまいましたが、気持ちを切らすことなく、最後まで戦えたのも、応援があったからこそです。こんなに野球が好きだったり、横浜清陵高校を気にしてくださったり、こんなに神奈川の高校野球が好きであることを肌で感じることができて、貴重な経験だったと思っています。甲子園を目指すということなんですけど、気持ちがあるならば目指していいと思いますし、もっと口にしても良いと思います。横浜高校や東海大相模高校など、何校だけが目指していい場所ではない。皆大好きな、小さいころから続けてきた競技を引き目に感じてやることはない。遠慮しながらやることもまったくないと思います。遠慮して、好きな競技を引退したとき『やり切った』と思えるでしょうか。野球を始めたときの初心に戻り、もっと素直で正直であっていいと思います。そういう人間以外、初出場は達成できないんじゃないか、と。3年生の皆さん、ずっとやってきた野球で、甲子園を目指せる最後のチャンス。目標に正直に頑張ってもらいたいと思います」
『素の自分でやれよ』のアドバイス
【3】甲子園は厳しい場所
「
広島商さんとの1回戦を前にして、恩師である門馬敬治監督(創志学園高監督)から『素の自分でやれよ』と言われました。今ならばその言葉の意味が分かります。いつでもできること以外は、頼りにならないということです。練習で10回に1回出るミスは、大事な試合でも出る。どんなに悪い日でも、最低限できるのが地力。甲子園では、できると思ったことができませんでした。飾っても、ボロが出る。隠しても、はがされる。厳しい場所である一方では、全国でもそのまま通用することがありました。試合前後、ゲーム中のスピード感など、さまざまな所作は神奈川大会でいつも指導されてきたことでしたので、いつも通りの動きができました。(春、夏、秋の県大会で)高野連の先生から指摘されることは、甲子園で苦労しないことの愛情と受け止めるべきだと思います」

今センバツで19年ぶりに優勝した横浜高・村田監督[右]は、2020年3月まで白山高を率いた。野原監督とは県立高校の監督同士で、切磋琢磨してきた仲である[写真=BBM]
【4】甲子園を通じ感じた神奈川のつながり
「(対外試合解禁以降)県内の学校さんと練習試合を組ませていただきましたが、各校の監督、マネジャー、選手たちから『頑張ってください』とメッセージをいただきました。彼らが行きたい場所であるのに、行く人に対してそうした言葉がかけられるのは素晴らしいことだと感じました。横浜高校さんとは同じ宿舎だったんですが、自分たちの試合前には食事会場で監督、指導者、選手からエールをいただき、感謝の気持ちでした。大会では私たちにとって、勝ちたいと思っている相手であります。でも、同時にこの神奈川の仲間であることを心の底から感じました。これからも皆さんとそういう関係でありたいと思いますし、皆さんもそういう関係をいろいろなチームと作ってもらえることを願っています。神奈川の高校野球をぜひ、これまで以上に良いものにしていきましょう。私たちも微力ではありますが、出させていただいた立場からできることを探していきたいと思っています」
文=岡本朋祐