大会への「入り」

横浜高・村田監督は優勝したセンバツでの経験談を話した[写真=BBM]
春季神奈川県大会の組み合わせ抽選会が4月3日、横浜市内で行われた。地区予選を勝ち抜いた80チーム(選抜出場2校は免除)の対戦カードが決まり、試合会場を組み入れる時間帯を利用して、講話が行われた。第97回選抜高校野球大会で横浜高が19年ぶり4度目の優勝を飾り、21世紀枠では横浜清陵高が神奈川県勢として初出場。横浜高・村田浩明監督、横浜清陵高・野原慎太郎監督がそれぞれ登壇し約15分、甲子園での経験談を80チームの代表者(各校部員2人)の前で話した。
横浜高は昨秋の新チーム結成から神奈川県大会、関東大会、明治神宮大会、そして、今春のセンバツと公式戦無敗の20連勝で春頂点に立った。まずは、感謝の言葉である。
村田監督は2020年3月まで神奈川県立白山高を率い、同4月1日付で母校・横浜高に赴任し、同時に野球部監督に就任した。
「私は『県立から甲子園』が夢でした。でも実際に何度も跳ね返され、難しくて、果てしないものだと思っていました。今回、(横浜清陵高の)野原監督とご一緒に甲子園へ行けたことは、とても幸せで、何よりもうれしいこと。良きライバルとして切磋琢磨してきた先輩です。噛みしめて、頑張ってきました」
なぜ、紫紺の大旗を手にすることができたのか。4つの要因を語った。
まずは、大会への「入り」である。3月18日の開会式の入場行進に集中してきた。
「人生で、一生に一度。開会式の入場行進は大事だと思うんです。私はセンバツ大会歌の『今ありて』を聞くと、涙がボロボロ出てきます。今回の開会式でも、ある選手から『なぜ、泣いているんですか』と聞かれたので『過去を思い出したからだよ』と(村田監督は横浜高2年春、3年夏の甲子園を経験)。大人になったときに感じるものなんですが、辛いことも、悲しいことも乗り越えることができる。誰でもできること、当たり前ことを当たり前にできるのが、素晴らしいチーム。行進を見れば、すべてが見えてきますので。私たちはこの入場行進に、すべてをかけてきました」
チームリーダーの存在
次にチームリーダーの存在である。
「主将の阿部葉太(3年)は、横浜高校では考えられない初めての2年生キャプテンに据えました(昨年の春季県大会後の5月)。阿部葉太という人間は『一番、甲子園に行きたい。何が何でも行きたい』と。そこに学年は関係ない。熱い人間です。キャプテンがしっかりすれば、チームは良くなるんだなと感じました。以前は、私のほうから『全国制覇するぞ!!』『甲子園行くぞ!!』と言ってきましたが、子どもたちの意識と指導者の意識の違いを知ることができ、阿部が背中で引っ張っていけば、選手は勝手についていく。一気に選手が変わりました。チームが変わりました。自分からは何も言わなくても、選手のほうから『全国制覇』という言葉が出てくるんです」
もう一人、影の立役者がいた。
「マネジャーの林田大翼(3年)です。朝の早出から夜の居残り練習までずっと来ていた選手です。ですが、技術がもう一つ足りなかったため、別の形でチームの力になってくれると確信していましたので、鬼になってマネジャーを打診しました。すると、学校に来なくなって……(苦笑)。まずいな、と思ったんですけど……。1週間後に『チームは日本一という目標を掲げているので、私がやります』と。主将とマネジャーが強固な関係なので、皆が同じ矢印に向かって、チームは上へ上へと進んでいきます。チームにとって大事なポジションであり、彼らの動きを見ると感動しました。ここには主将、マネジャーが出席していると思いますが、チームをけん引する人物が下を向いたり、諦めたりとかしたら、そういうチームは神奈川では勝てない。日々、選手から多くを学ばせてもらっています」
「全員野球の体現」「ライバル校の存在」
3つ目は「全員野球」の体現である。
村田監督は常々「準備に勝るものはない」と訴えかけてきた。実践したのが背番号13を着けた右腕・山脇悠陽(3年)である。
「(今センバツの)20人のメンバーに入れるか入れないか、ボーダーラインの選手でした。昨秋の公式戦は1イニングも投げていないんです。山脇は朝一から走っていて、シャドーピッチングも欠かしませんでした。努力している選手には必ず、チャンスが巡ってくる。沖縄尚学との2回戦では140キロも超えて、見たことのないようなピッチングを見せた(三番手で2回2/3を無失点)。智弁和歌山との決勝も投手陣はバテバテの中で、最後は四番手で救援して、優勝投手になった。常に『俺が出るんだ』という心意気で練習をしている。だからこそ、私も迷いなく起用することができました。横浜高校の野球を一人ひとりが準備している。負けないチームになりました」

今センバツで19年ぶりに優勝した横浜高・村田監督[右]は、2020年3月まで白山高を率いた。野原監督とは県立高校の監督同士で、切磋琢磨してきた仲である[写真=BBM]
最後に県内ライバル校の存在を上げた。
「神奈川にはとてつもない、素晴らしい監督さんたちがたくさんいます。横浜隼人・水
谷哲也監督さん、横浜創学館高の森田誠一監督さん、向上高の平田隆康監督さん、平塚学園の八木崇文監督さん、そういった方々にお世話になり、チームづくり、野球を学んできました。こんな恵まれた環境、激戦区・神奈川で野球ができていることが幸せです。皆さん、監督、コーチをどこまでも信じて活動してください。自分で選んだ道です。信じ抜いて、取り組んでほしいと思います。私もそうですが、野球ができているのはたくさんの人の支えがあってこそです。(甲子園での)優勝インタビューでも、感謝の言葉しか見つかりませんでした。部員の皆さんは、家族を大事にしてください。君たちが前を向いていれば、親も前を向く。そして、仲間を大事にしてください。野球の技術があるなしは関係なく、皆が戦力です。そこが強固であれば、組織は簡単には崩れません。もう一つ、支えてくれるOBの方々も大事にしてください。いずれ皆さんも卒業生になります。ボール、バットも高騰しており、OB・OGの支援がないと活動は成り立ちません。人のために生きていくことに価値があると思っています。野球を通して、大きな人間になってほしいです」
センバツ優勝は過去の栄光だ。横浜高はセンバツ出場校に与えられるスーパーシードにより、春季県大会は3回戦から登場する。すでに、頭の中は夏へと向いている。
「バシッと切り替わっています。春の県大会を全集中でやっています。負けない野球をやって、神奈川を勝ち抜きたい」
各チームは「打倒・横浜」で挑んでくる。各校の包囲網を跳ね返すだけの練習量でカバーする。日々成長。歩みを止めることはない。
文=岡本朋祐