2022年秋以来、神宮へ

東大OB・井手氏のレジェンド始球式はノーバウンドでの見事な投球だった[写真=矢野寿明]
【4月19日】東京六大学リーグ戦
明大2-0東大(明大1勝)
試合前の打撃練習開始5分前、東大OBの
井手峻氏が一塁ベンチに登場した。この日は、レジェンド始球式のために来場。雰囲気が一気に明るくなった。東大・大久保裕監督以下、野球部関係者は久しぶりの再会に皆、笑顔を見せた。連盟関係者も、井手氏の元気な姿に安心した。神宮に足を運ぶのは、母校を監督として率いていた2022年秋以来だという。
「(練習の拠点である)東大球場にも行っていません。(現場には)申し訳ないことをしました。野球部にも出入りしていなかったですが、これからは(可能な範囲で)行こうと思います」
22年11月。新チームの初練習で、井手氏はグラウンドで倒れた。「引っ繰り返った。2カ月入院。1週間は意識不明だったそうです。その辺りのことは、覚えていないんです」。脳炎を発症。23年の春、秋は大久保助監督(当時)が監督代行を務めた。井手氏は自宅療養していたが、現場復帰は困難であると判断し、23年秋を最後に、監督を退任した。
25年は東京六大学結成100周年。3年ぶりに神宮に戻ってきた。始球式では
中日のコーチ時代に使用したグラブをはめ、ノーバウンド投球。通算4勝を挙げた大学時代に着けた背番号19のユニフォームで躍動した。81歳。見事なピッチングだった。「不安だったんですけど、何とかやりましたね、感激です」。

試合前は打撃練習時にグラウンドに顔を出し、激励の言葉を送った[写真=矢野寿明]
19年11月から井手監督を支えてきた大久保監督は、試合前から感激していた。
「まさしく東大のレジェンド。野球を知り尽くしている。中日でも選手、コーチ、球団代表と豊富な経験と知見がある。大局的に物事を見ることができるんです」
井手氏の助言が後押しに
22年入学の現在の4年生が、井手氏が指導した最後の学年である。大久保監督は明かす。
「渡辺(向輝、4年・海城高)と杉浦(海大、4年・湘南高、主将)のバッテリーを見て『将来は良いんじゃないか』と言われた。先見の明があるんです。渡辺は『父と比べられるのは……』(父は元
ロッテほかの
渡辺俊介氏)と、途中まで上から投げていたんですが、東大の投手が神宮で結果を残すためには、スピードではなく、工夫をしていかないといけない。井手さんも東大時代は横から投げており、東大歴代最多17勝の岡村甫さんをはじめ、過去に勝利を挙げた投手は変則的な傾向が多かった。最終的に渡辺が腕を下げたのは、井手さんの助言が後押しとなったと聞いています」

東大のエース・渡辺には「井手イズム」がたたき込まれている[写真=矢野寿明]
先発した渡辺は明大1回戦を9回2失点で完投した(チームは0対2で敗退して敗戦投手)。昨秋にリーグ戦初勝利を挙げ、今春の開幕カード・早大1回戦でも敗戦投手ながらも、4失点完投の粘投。アンダーハンドは神宮で投げるたびに自信を深めている。試合後、かつての恩師・井手氏についてこう語っている。
「井手さんから(お孫さんと練習した、始球式のための)練習の画像が送られてきまして……。さすがだな、と。1年生のときは『ボールは良いんだから、ポンポン投げていけばいい』とアドバイスをいただきました。ストライク先行は、今の投球につながっています。井手さんの(通算)4勝に追いつきたいです」

東大の左打者・酒井[右]は野手として初のドラフト指名を目指す。試合前はかつての恩師とがっちり握手した[写真=矢野寿明]
井手氏は投手として1967年、中日に入団したが、のちに内野手、外野手としても76年までプレー。東大からは過去に6人のプロ野球選手を輩出しているが、すべて投手としての入団だ。今年は巧打の外野手・酒井捷(4年・仙台二高)が「プロ志望」を表明。東大から野手としての初のドラフト指名を待つ。試合前には、井手氏とがっちり握手した。
「分厚い手。印象深いです。野手で認められるのは、すごいことだと思います。今年のチームは戦力が整ってきましたし、渡辺投手の体つきも大きく、強くなってきた。シートノックを見ていてもうまいですよ」
改めて、学生野球の魅力を語った。
「大学野球は同じ大学の学生が応援してくれる。野球をやっていると、他校の選手と交えるので視野が広がる」
試合後、大久保監督は改めて感激していた。
「カムバックですね!! お元気で良かった。感無量。うれしいです」
大久保監督は、井手氏が築き上げた野球を継承している。今回の始球式をきっかけに、現場との関わりも積極的に行っていくと明かした。やはり、レジェンドの言葉は重い。一言一句、聞き逃してはいけないのである。
文=岡本朋祐