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【大学野球】立大OB・本屋敷氏がレジェンド始球式 「立教という大学でプレーできて良かった」

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89才が元気な姿


長嶋茂雄氏、杉浦忠氏と同級生で「立教三羽ガラス」と呼ばれた本屋敷氏がレジェンド始球式を務めた[写真=矢野寿明]


【4月20日】東京六大学リーグ戦
立大12-3法大(立大2勝)

 立大の主将として黄金時代を築いた本屋敷錦吾氏(元阪急、阪神)がレジェンド始球式を行った。在学当時は背番号がなかったが(採用されたのは1959年春)、この日はキャプテンナンバーの『10』のユニフォームを着た。マウンドの前から振りかぶっての投球は、ワンバウンドで捕手のミットに収まった。「(最近は)ほうる肩を使っていない。ノーバウンドでほうりたかった。お粗末」と自己採点は厳しかったが、89歳が元気な姿を見せた。

 三塁手・長嶋茂雄氏と三遊間を組み、エース右腕・杉浦忠氏と同級生で「立教三羽ガラス」と呼ばれた。主将だった4年時(57年)に、リーグ戦春秋連覇を遂げている。

 芦屋高では2年夏の甲子園で全国制覇を経験。勝負師である。「勝って『どうや』でしょう。優勝は幸せ。涙を流して喜びました」。かつて同校の卒業生は慶大に進学するケースが多かったが、本屋敷氏は立大へ進学。「正直、六大学の中でも唯一、立教を知らなかった(苦笑)」。なぜ、セントポールの門をたたいたのか。

「実は慶應に進みたかったんです。先輩に続きたかった。入学してから知りましたが、慶應の阪井盛一監督によれば、慶應に来るものだと思って、勧誘はしなかった、と……。こちらとしては『来い!!』と言われなければ、入学できるわけがありません。入学後、神宮で会った阪井監督は面等向かって呼んでくれ、残念がっていました。ただ、慶應に進学していたら、こんな男でなかったかもしれない。立教という大学でプレーできて良かったです」

 在学中の思い出を語る。

「ファーザーが野球好きで、かわいがってもらったんですよ。対戦カード前のユニフォーム推戴式では、チャペルで一人ひとりにユニフォームを渡す。ファーザーと知り合ったことで、僕の人生を変えてくれました。あの頃の立教は杉浦、長嶋がいたから強かったです」

 2年春までは「鬼の砂押」と言われた砂押邦信監督の下で指導を受けた。同夏に上級生による監督排斥運動により退任。後任には辻猛監督が就任した。砂押監督は鉄拳制裁が常だった。「砂押さんは兵隊上がり。戦時中は命に関わることですので、手を上げることで統制していた時代でした」。野球の指導現場にもスパルタ式を持ち込んだが、学生には到底、受け入れられなかったのである。「20歳にもなって、(鉄拳制裁を受けなくても)言われたら分かるやないか、と」。主将となった4年時はこうした慣習を一掃し、健全な形へと持っていったという。風通しの良い文化が根づき、「立教三羽ガラス」が卒業した58年も春秋連覇。立大の伝説である「4連覇」を達成した。

法大ベンチにも足を運び激励


試合前には対戦校である一塁ベンチ前で、法大の選手を激励。89歳は精力的に動いた[写真=矢野寿明]


 本屋敷氏はこの日の試合直前には、立大の対戦相手である法大ベンチにも足を運び、大島公一監督と談笑。その後は一塁ベンチ前で円陣を組み、学生たちを激励した。精力的に動いた。立大は法大2回戦を、12対3で快勝。昨春から母校を指揮する木村泰雄監督は、始球式後には試合観戦した大先輩に感謝した。

「私が大学在学時、リーグ戦前の激励会でお会いしたのが最後です。もう40年近く前の話。今日はお元気でしたし、ジョークを言ったり、親しみやすい方。試合前に和みました。神宮球場に来ていただいた中で勝てて、勝ち点が取れてよかったです。ありがたいです」

 2017年春以来の天皇杯奪還を狙う立大は、昭和のレジェンドからパワーを注入された。

文=岡本朋祐

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