記録更新の可能性は「無理です」

法大OB・山中正竹氏がレジェンド始球式を務めた[写真=矢野寿明]
【4月26日】東京六大学リーグ戦
4月24日で78歳になった。毎年、節目を迎えるたびに「まだ、半分を過ぎたあたり」と冗談交じりながらも、その目は本気である。
生きる上でのモットーは「野球を学び、野球から学ぶ」だ。かつて教えた選手、卒業生の成長は素直にうれしいが、自身も生涯、勉強の日々。「飛び切りの負けず嫌い」を自認する。
法大OBの山中正竹氏は東京六大学リーグ歴代最多48勝を挙げた。今後の記録更新の可能性について問われると「無理です」と断言する。それは、なぜか。
「条件、背景の中で出た数字だからです」
条件とは、相手があることを意味する。山中氏が在籍した4年間8シーズンでの東京六大学リーグ制覇は3度(早大2回、立大・慶大・明大が各1度)と、群雄割拠の時代だった。
「高いレベルの中で競い合わないと、48勝はできません。(2勝先勝の勝ち点制で)また、3回戦にならないといけない。私が48勝13敗。(法大の後輩である)あの江川(卓、元
巨人)も、12敗している(歴代2位の47勝)。あの時代は皆、強かったです」
1学年上の先輩には
田淵幸一(元
阪神ほか)、
山本浩二(元
広島)、
富田勝(元南海ほか)の「法政三羽ガラス」がいた。山中氏を含めた4人に共通するのが「たたき上げ」。高校時代に甲子園出場経験はなく、法大入学後に「鬼」と言われた松永怜一監督の下で徹底的に鍛えられた。山中氏が言う「育成の法政」だった。
さて、背景とは、投手起用だ。昭和から平成の中盤にかけては、先発完投が当たり前。エースならば3連投、4連投も喜んで投げていた時代である。今や学生野球も分業制で、1試合を投げ切ることも珍しくなった。山中氏は1年秋に開幕投手を任されて以来、4年秋まで1回戦の先発を譲ることがなかった。
大学卒業時はプロに誘われながらも、社会人野球(住友金属)へと進み、アマチュア球界の王道を歩んだ。現役引退後は監督として都市対抗、社会人日本選手権優勝、日本代表のコーチとしてソウル五輪銀メダル、同監督ではバルセロナ五輪銅メダルへと導いた。母校・法大の監督としてもリーグ優勝7度、全日本大学選手権制覇と、神宮で一時代を築いている。その後は、プロ野球・横浜の球団取締役として力を発揮し、現在は全日本野球協会会長、アジア野球連盟副会長を務める。2016年には特別表彰で野球殿堂入りした。
東京六大学野球連盟結成100周年。誕生日から3日後の4月27日、レジェンド始球式を務めた。家族に見守られながらの1球は、ノーバウンドで法大の捕手・
只石貫太(1年・広陵高)のミットにパチンと収まった。年に1度、明治神宮外苑内の野球場で草野球を楽しむという。往年の華麗な投球フォームを彷彿させる、見事なストライク投球だった。
「先週(4月19日)、東大の井手さん(
井手峻)が見事な始球式をされました。私が1年生だったときの4年生。みっともない投球はできません。自分なりに、それなりのボールは投げられたと思います」
背番号「48」を着けた理由

この日、着用した背番号『48』には特別な意味が込められていた[写真=矢野寿明]
背番号「48」を着けた。その理由を明かす。
「大学1年春、背番号『20』でデビューし、2年春から4年秋までは背番号『1』。高校時代も着けていましたし、馴染みのある番号です。法政の監督時代は『30』。今回の始球式にあたり、野球部のほうから『何番にしますか?』との話があり、自由に選択して良いということでしたので『48』にしました。意味が分からない方もいたかもしれませんが、同世代の人は理解してくれたので良かったかな、と思います。48勝は私には誇りでもありますし、支えてくれた、原動力にもなった数字です」
2022年までは法政大学野球部OB会(法友野球倶楽部)の会長を務めた。いつも母校を気にかけ、春、秋のリーグ戦はほぼ全試合、スタンドで観戦している。リーグ戦開幕前の激励会では現役学生を叱咤激励し、レジェンド始球式前にも一言、メッセージを寄せた。過去に46度のリーグ優勝の法大は昨春、早大に抜かれた(早大は春秋連覇で48度)。2020年春を最後に天皇杯から遠ざかっている。山中氏がレジェンド始球式を務めた早大1回戦を落として、開幕3連敗と苦戦が続く。
「優勝の可能性が高い状況は、続いていると思います。6校の力が拮抗している。どの学校にもチャンスがある。ただ、優勝から遠ざかると、『勝ち方』というものが……」

バルセロナ五輪では監督、選手の関係だった法大・大島公一監督[右]を試合前に激励した[写真=矢野寿明]
愛する母校に求めるものは、一つである。
「良いチームであってくれればいい。素晴らしいスポーツマン、素晴らしい野球人の集まり。良いチームにするには、良い選手にならないといけない。良い選手になるためには、考えないといけない。それが、勝つことへの近道だと思います」
成果を追い求める前に、学生としての取り組み、過程を大事にする。一人の大学生、野球部員としての姿勢が優れていれば、自然と結果がついてくるというロジックである。
法大OBとしての顔は、ここまで。全日本野球協会会長として、最後にこう言った。
「さらに一層、六大学の野球が、野球がサスティナブルに輝き続けることが望ましい。私自身もやれることをサポートしていく。まだ、78歳ですから(苦笑)」
背筋をピンと伸ばし、年齢を感じさせない熱意、情熱がある。今後も第一線で野球界の発展、普及・振興のために汗を流していく。
文=岡本朋祐