「成り上がりという意味で」

5回裏に先制2ラン。今季から一番を務める今津が打線を活気づけている[写真=田中慎一郎]
【5月3日】東京六大学リーグ戦
慶大3-0東大(慶大1勝)
今季から慶大の一番に定着した今津慶介(3年・旭川東高)は背番号39を着けている。なぜ、このナンバーを選択したのか。
「
廣瀬隆太さん(
ソフトバンク)の影響です。1年時に『39』、2、3年時は『3』、主将だった4年時は『10』を着けました。成り上がりという意味で、自分は尊敬している廣瀬さんの『39』を継ぎたいと思っていました」
2年春に神宮デビュー。立大2回戦のリーグ戦初打席(代打)で初安打を放った。そして、今春、右翼のレギュラーを奪取。立大2回戦でリーグ戦初本塁打、そして東大1回戦では先制2号2ランでチームの先勝に貢献した。
「(二死二塁で)タイムリーを打ちに行った結果が本塁打になったので良かったです。球種を張るというよりは、甘く入ってきたボールを強くたたくことを心がけていました」
右投げ左打ちの外野手は、50メートル走6秒1の俊足が武器。高校時代から神宮、東京六大学でのプレーを夢見ていた。一番打者、主将として臨んだ3年夏は北北海道大会決勝で敗退。あと一歩で甲子園を逃した。この時点では慶大以外の東京六大学の各校を志望していたが、8月に旭川市内でキャンプを張っていた慶大の練習に参加。雰囲気に惹かれ、慶大への入試に方針転換した。一次の書類選考、二次の面接と猛勉強の末にAO入試を突破した。
入学直後から主将・廣瀨に弟子入り。「自分が勝手に言っているんですが、廣瀬ボディーを手に入れたいと思っていました。あの体になれば、どこまで飛ばせるのか……」。猛練習により、スタンドインできる体を手に入れた。
今津の祖父(寛さん、元衆議院議員)と伯父(寛史さん、北海道議会議員)は元高校球児で、大学時代はそれぞれ中大と法大の応援団に在籍し、神宮で野球部を後押しする立場だった。父(寛介さん、旭川市長)も元高校球児で、中大では準硬式野球部でプレー。野球一家に育った今津は、高校時代から慣れ親しんできた一番打者へのこだわりをこう語る。
「戦う気持ちを、前面に出す。僕が出塁することで、気迫がベンチに伝わる。一番打者にしかできないことだと思っています」
もともと右打ちだったが、俊足を生かすため、小学校6年からは左打ちに挑戦し、スイッチヒッター。「右の強みもありますが、今は左のほうがベスト」と、今春は対左投手でも左打席に立つ。堀井監督は「ハートが強い」と、新たなトップバッターに全幅の信頼を置いている。公立高校出身のたたき上げ。慶大の育成力を示す、象徴的な努力の人である。
文=岡本朋祐