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『斎藤佑樹 野球場プロジェクト』が本格始動 「はらっぱスタジアム」のこだわりは外野フェンス

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北の大地を満喫できる環境


『はらっぱスタジアム』と命名されたモニュメントがお披露目された。スペシャルゲストとして、斎藤氏の日本ハム時代の監督である栗山英樹氏[日本ハムCBO]が参加した[写真=高原由佳]


斎藤佑樹 野球場プロジェクト』がついに本格始動した。5月5日のこどもの日に合わせて、スターティングイベントが開催。斎藤氏は同プロジェクトにあたり国内外約50カ所の球場を視察し、約50カ所の土地を見て回り、北海道長沼町内の舞鶴スポーツ公園跡地に決めた。少年少女の専用サイズ(両翼70メートル、中堅85メートル)の野球場は「はらっぱスタジアム」と命名された。澄み切った青空と、北の大地を満喫できる環境である。

 斎藤氏はネーミングの経緯を、開会あいさつでこう明かした。

「この場所に合った名前で、このロケーションの通り、ノビノビと野球をやってほしい。勝ち負けは関係なく、与えられている役割も関係なく、オーバーフェンスのホームランの体験をしてほしい」

学童野球仕様の野球場は両翼70メートル、中堅85メートル。ベンチ、得点板、バックネット、外野フェンスが設置されている。記念試合はアナウンス、実況付きと豪華な演出だった[写真=高原由佳]


 外野には1.5メートルの高さがある木製のフェンスを張った。最大のこだわりである。

「子どものころのホームランはすべて、ランニングホームランだったんです。河川敷、学校校庭が試合会場でしたので……。あるとき、アメリカへ行くと、リトルリーグの野球場には外野フェンスがあったんです。決勝でサヨナラ本塁打が出て、場内のムードは最高潮に達しました。打った本人だけでなく、親御さん、チームメートも含めて、安心感を持ってベース1周をしてほしいと考えました。日本にもこういう野球場があれば、と。フェンスオーバーする感覚を味わってほしかった。その先の野球選手としての感覚も違っていくと」

 斎藤氏の出身地である群馬のほか、千葉、埼玉、神奈川も候補地に挙がった中で、北海道に絞った背景は2つある。まずは、形状だ。

「平らであったからです。過去には野球場だった場所で、平らであることは建設費を含めて、一番のポイントでした」

 次にプロ野球・日本ハムで11年プレーした北海道との「縁」である。また「こういう大人になりたいと理想の方。目標としている人」と尊敬する当時日本ハム監督の栗山英樹氏が、かつて隣の栗山町で野球場を手がけたことも、大きく影響した。昨年8月から球場づくりが始まり、栗山氏の『栗の樹ファーム』を参考に、ことあるごとに助言をもらってきた。

「エスコンフィールドHOKKAIDOが見える場所でもあるので、運命的なものを感じました。この野球場でプレーした子どもたちが、あそこを見て、目標としながら、いつかプロ野球選手としてプレーしてくれればいいです」

栗山氏も大きな期待


 スペシャルゲストとして、栗山氏がスターティングイベントに参加した。始球式では斎藤氏が投手、栗山氏が右打席に立った。この日は予定調和の空振りではなく、真剣勝負。栗山氏は1球を見逃し「打つのを忘れた」と苦笑い。「もう1球。行くぜ!!」と予告ホームランのポーズを取ったが、捕邪飛に終わった。

「甲子園優勝投手からずっと見てきましたし、生の佑樹のボールを見られたので、一生の思い出になりました」

 斎藤氏のプロジェクトにこう言及した。

「佑樹がやってくれたことは個人的には結構、感動していて、なかなか思っていることを行動するのは難しくて、子どもたちのためにやり尽くしてくれる思いは、我々世代からすると、うれしい。これから佑樹を見て、佑樹みたいになりたいという若い人がたくさん出て、そういう生き方をしてくれると思う。佑樹の思いが、次世代にもつながっていく。子どもたちのために、我々ができること。佑樹の現役時から『野球をやってきた我々が野球場をつくれば、子どもたちに夢を与えられる。子どもたちが一人でも野球を好きになってくれれば』と話していましたが、形にするのは大変で、今日、ここに来て、本当にうれしかったです。個人的には(栗の樹ファームの)近くにつくってくれてうれしいですし、エスコンが見えるのは素晴らしい。今後は北海道以外、違う場所にも広がっていくことを信じています。いろいろな人が日本全国につくってくれたらいいな、と。ここに来て、一番うれしかったのは子どもたち楽しそうな声がグラウンド中に響きわたっていたこと。これが一番、大切なんだ、と。これからも佑樹と力を合わせて(野球の普及・振興を)やっていきます」

外野フェンスの総仕上げとしてペンキ塗り。斎藤氏は子どもたちに教えながら、一緒に手を動かした[写真=高原由佳]


 この日はイベントが盛りだくさんだった。野球場の右翼後方に、バットになる木である「岳樺(ダケカンバ)」を植樹。斎藤氏と栗山氏に、記念試合で対戦した学童野球チーム(長沼Fタイガース、空知ファイヤーズ)の子どもたちも参加した。また、野球場入口のモニュメントが披露され、記念試合後は、外野フェンスを子どもたちとペンキ塗り。その後は、青空ランチでカレー、もずくキムチ、ジャガイモ、海鮮丼を舌鼓した。夕方には右翼後方にあるイルミネーションの点灯式が行われた。

 今回はあくまでも「プレオープン」の位置づけ。グラウンドを整地し、マウンド、バックネット、得点板、ベンチ、外野フェンスなど一つひとつにこだわってきた。斎藤氏は隔週で現場に入り、自ら手を動かしてきた。

「(こどもの日である)5月5日にスタートしたいと思っていました。雪解けしてからも、子どもたちが野球をする姿を思い浮かべながら急ピッチで仕上げてきました。今日、子どもたちが元気よく野球をする姿を見て、感慨深いものがありました。まずは、試合ができる環境づくりを最優先にしてきたという。

 斎藤氏は「これからも野球場づくりは続きます。これまでもそうだったように、僕一人では何もできません。長沼町をはじめ、地域の皆さんのご協力をいただきながら、進めていくことになります。この土地のことをよく知る方からのアドバイスに耳を傾ければ、間違いなく良いものができる」と話した。

次なる着手予定は天然芝


 次なる着手が予定されているのは天然芝。一つひとつ施設を拡充させる。

「野球だけではなく、野球に興味がない方が訪れても楽しんでいただけるような場所を提供したい。高校野球は甲子園、大学野球は神宮と言われるように、子どもたち専用サイズの野球場である『はらっぱスタジアム』で野球がやりたいと思っていただけるような場所にしたいです」

記念試合後は「青空ランチ」。両チームはピクニック気分で楽しんだ[写真=高原由佳]


 なお、主役である子どもたちの記念試合は、ビジターの空知ファイヤーズが4対2で地元の長沼Fタイガースを下した。ホームの長沼Fタイガースは0対4の最終回(6回裏)に2点をかえす粘りを見せた。長沼Fタイガース・濱西康平監督は試合後、感激していた。

「野球場に足を踏み入れて『まさか、ここまで!!』が第一印象です。地元出身ですが、(公園跡地からとは見違えるほど)別の場所に来たという感動がありました。ここまで仕上げていただき、最高の環境です。一番、驚いたのはベンチです。木の良い香りに、子どもたちも驚いていました。ぜひ、大会で使わせていただけるとありがたいです」

 長沼Fタイガースは長沼町唯一の学童野球チーム。年長から小学校6年まで22人で活動している。濱西監督によれば、各地で連合チームを編成するなど、競技人口の減少は懸念材料となっているという。濱西監督は「秋には近隣大会があるんですが、学童仕様である『はらっぱスタジアム』が拠点になれば、各チームも大変喜ばれると思います」と、近い将来の「聖地」としての期待感を語った。

 元プロ・斎藤氏はこれまで、誰も手を付けてこなかった分野に挑戦している。「野球選手を引退したときに、野球界に何か恩返しをできるかを考えてきました。これからも一つひとつ、できることを模索していきたい」。野球の普及・振興をきっかけに、人生を豊かにする。野球場プロジェクトは、始まったばかりだ。

文=岡本朋祐

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