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愛すべき助っ人たち

「私のストレートは日本で通用しなかった」? プロ野球で初めて球速160キロを超えたクルーン【愛すべき助っ人たち】

 

剛速球の浪漫


横浜、巨人[写真]でプレーし、通算177セーブを挙げたクルーン


 速球はロマンだ。いや、浪漫と書くべきか。プロ野球で一番、速い球を投げたのは誰か。ファンが酒を酌み交わしたとき、この話題になったら、その酒席は長くなると思っていいだろう。プロ野球の草創期に活躍した巨人の沢村栄治ヴィクトル・スタルヒンも速球で名を残しているが、もちろん当時はスピードガンなどない。「160キロは軽く超えていた」という話もあるが、真実は分からない。スピードガンの普及とともに球速は数字で明確に伝わるようになる。150キロを超えたら歓声が上がる時代を経て、初めてプロ野球で160キロの大台を突破したのは21世紀に入った2005年で、それを投じたのは来日1年目の助っ人だった。横浜(現在のDeNA)のマーク・クルーンだ。

 メジャーでプレーしていた“大魔神”佐々木主浩が復帰した横浜に入団したクルーンだったが、佐々木の故障で代役を任される。7月には161キロをマーク。その後も佐々木の引退した横浜で不動のクローザーとして活躍したが、08年に巨人へ移籍。ここで6月に自身の記録を更新する162キロをマークしている。

 ただ、のちにクルーンは、「私のストレートは日本のほうが通用しなかった」と振り返っている。剛速球は「ファンのために記録を出したい気持ちがあった」のだという。プロ野球で初めて160キロ台を超えたことで、どうしても剛速球のインパクトが強くなってしまうのだが、実際、剛速球はファウルにされてしまうことが多く、三振を奪うためのウイニングショットはフォークボールだった。これで巨人1年目の08年に自己最多の41セーブで初のセーブ王。翌09年は27セーブにとどまったものの、安定感には磨きがかかって、リーグ連覇に大きく貢献している。その翌10年オフに退団、帰国した。

 横浜の3年間は84セーブ、巨人の3年間では93セーブで、ともにチームの助っ人では通算セーブ王。通算177セーブも当時は助っ人の通算セーブ王だったが、のちデニス・サファテ(ソフトバンク)が更新、2025年5月に巨人のライデル・マルティネスが通算178セーブとして2位となり、現在は助っ人3位となっている。

写真=BBM
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