初登板初完封、そして“チェコ事件”

95年には15勝をマークしたチェコ
3ケタのユニフォームで一軍の試合に出場することは、原則としては、ない。ただ、何事にも例外があるものだが、自らの背番号として3ケタ「106」を背負って、一軍で活躍した助っ人がいた。
広島の
ロビンソン・チェコだ。
広島は1990年11月、ドミニカ共和国に「カープアカデミー」を創設した。ポテンシャルの高いドミニカの選手をチームの大黒柱になる存在に育て上げる。これが、豊富な資金力によって強力な助っ人を獲得できる球団のようにはいかない広島の狙いだった。そんな「カープアカデミー」から練習生として92年に入団したのがチェコ。カープアカデミー出身で広島と契約した第1号だった。このときの背番号が「106」。推定年俸は最低保証額の400万円だった。だが、オープン戦から故障に苦しみ、翌93年も別の故障で棒に振り、オフには台湾の、広島と提携していた時報イーグルスへ。そこでチェコは7勝を挙げる。そして迎えた95年、ふたたびチェコは広島の「106」を背負った。
4月12日の
阪神戦(甲子園)が一軍デビュー。オープン戦で好投を見せたチェコは、その勢いのまま初登板を無四球完封で飾って、「気持ちで向かっていくことだけを考えていた。もっと暖かくなれば155キロは出るかな」と声を弾ませた。この95年の推定年俸は480万円。その後も活躍を続けたチェコは監督推薦で球宴にも出場して、最終的には15勝を挙げる。広島では前年オフにエースの
北別府学が現役を引退していて、まさに、その穴を埋める活躍だったといっていい。
だが、前例のない成功にはトラブルがつきものなのだろう。オフに契約トラブルが勃発。実はシーズン中から火種がくすぶっていたというが、オフにトラブルは泥沼の様相となり、“チェコ事件”と呼ばれる騒動となる。最終的にはチェコが謝罪して、トラブルは収束。新たに背番号「50」で翌96年を迎えたチェコだが、あわやノーヒットノーラン、という好投もあったものの、4勝にとどまり、そのオフにレッドソックスへ移籍していった。ただ、メジャーでは結果を残せず、2000年いっぱいで現役を引退している。
写真=BBM