大ピンチで大仕事

新天地の巨人でリリーフとして奮闘する田中瑛
まだシーズン半ばだが、巨人の今年の戦いを振り返る上で語り継がれる一戦になるだろう。5月22日の
阪神戦(甲子園)だ。
阿部新監督が通算100勝を飾ったこの試合。絶体絶命の大ピンチで大仕事を成し遂げたのが
田中瑛斗だった。同点の8回無死満塁のピンチで登板。相手打線のクリーンアップに打席が回り、阪神ファンの地鳴りのような応援が球場に鳴り響いたが、右腕は最高のパフォーマンスを見せた。三番の
森下翔太に6球すべて内角をえぐるシュートを投げ込み、三ゴロで本塁併殺打に。
佐藤輝明を敬遠し、二死満塁で五番・
大山悠輔にも果敢にシュートを投げ続ける。2ストライクに追い込むと、4球目に外角へ逃げるスライダーで空振り三振。マウンド上で雄叫びを挙げた。1球も投げミスが許されない中、きっちり投げ切った右腕の10球が試合の流れを変えた。延長戦にもつれ込み、11回に
門脇誠の決勝打で今季初の阪神戦カード勝ち越しを決めた。
この試合に負ければ勝率5割に逆戻りしていただけに、田中瑛の快投は大きな価値がある。
日本ハム時代は7年間在籍して10試合登板で1勝のみと一軍に定着できなかったが、現役ドラフトで巨人に移籍したことが野球人生の転機に。スライダー、フォーク、シュート、カットボール、カーブ、フォーク、チェンジアップと多彩な変化球を操る投球スタイルだったが、
阿部慎之助監督の助言で右打者の内角に食い込むシュートを生命線にすることで生まれ変わった。
ターニングポイントとなった試合
層の厚い救援陣で開幕一軍の切符を勝ち取り、試合中盤の競った展開での登板が続く。無我夢中だっただろう。一軍の座が確約された立場ではない。ターニングポイントになった試合の一つが、5月1日の
広島戦(東京ドーム)だった。同点の9回無死一塁で登板すると、自らの悪送球などで無死満塁のピンチを招いたが、ここで崩れない。サンドロ・ファビアンに対して内角へのシュート攻めで遊ゴロの本塁併殺に。マウンドに来た阿部慎之助監督から「悔いのないボールを投げ続けろ」と鼓舞されると、
菊池涼介を再びシュートで三ゴロに打ち取り、力強くガッツポーズした。
4月26日の阪神戦(甲子園)で同点の8回に登板して4失点と結果を残せなかったため、「2度やられたら終わり。次はないという気持ちだった」と背水の陣のマウンドで結果を出し、「投げ終わってからも、ずっと震えていたので、いつもしないアイシングをしました。体を冷やすというより、体温が上がって震えが止まらなかったので」と心身が極限の緊張状態であったことを明かした。
シュートを武器に活躍したリリーバー

横浜[写真]、近鉄でリリーバーとして活躍した盛田
内角に食い込むシュートを武器に活躍したリリーバーとして浮かぶのが、横浜(現
DeNA)、近鉄でセットアッパーとして活躍した
盛田幸妃だ。横浜時代の1992年に14勝6敗2セーブ、防御率2.05で最優秀防御率を獲得すると、94年は8勝4敗16セーブ、防御率2.48をマーク。翌95年もリーグ最多の57試合登板で8勝4敗5セーブ、防御率1.97と光り輝いた。
盛田の生命線は右打者の懐を鋭くえぐるシュートだった。死球になることもあったが、臆せず投げ続ける強心臓ぶりを発揮。球界で史上唯一の三冠王3度獲得した
落合博満は通算50打数9安打、打率.180に抑え込まれた。執拗な内角攻めで頭をかすめる球に激高したことも。盛田は落合に「オレはほかの3打席で打てばいいんだから。お前のときに(死球を)当てられたらどうするんだ」と言われたという。その後は、トレード移籍した近鉄で脳腫瘍が発覚して闘病生活を送ったが、復活してカムバック賞を受賞した。現役引退後に癌が転移して再発を繰り返し、45歳の若さで逝去。「奇跡のリリーバー」として語り継がれている。
シュートが武器のリリーバーは希少価値がある。田中は20試合登板で12ホールドと自己最高の成績を更新している。一軍の戦力として必要とされていることを喜びに、マウンドに立ち続ける。
写真=BBM