「野球に興味を持ったのも、父の影響」

溝内審判員は早慶1回戦で球審を務めた[写真=矢野寿明]
【5月31日】東京六大学春季リーグ戦
早大11-2慶大(早大1勝)
連盟結成100周年の早慶戦。プレートアンパイアを務めた溝内健介審判員(東大OB)は、特別な思いで聖地・神宮に立っていた。
5月22日。父・建三さんが病気で亡くなった。77歳だった。
「野球に興味を持ったのも、父の影響。大学まで野球を続けたのも、父の影響。大人になって、さらに野球に関わりたいと思ったのも、指導者だった父の姿を見ていたから。亡くなる前日まで会話ができたので、私が早慶戦で球審をやることも知っていました。結成100周年の早慶戦を見てほしかった思いもある」
父・建三さんは内野手として法政二高(神奈川)、日体大でプレーした。卒業後は母校・法政二高に奉職し、責任教師として1984年春、88年夏の甲子園を引率し、監督も歴任した。神奈川県高野連の役員としても尽力してきた。
溝内審判員は開成高(東京)を経て、東大ではマネジャー兼投手として活動。東大OBの審判員だった清水幹裕氏は弁護士をしながら、神宮の東京六大学、甲子園などでジャッジしていた。卒業後も野球に携わっていきたいと考えていた溝内審判員は、アンパンアを目指すため、弁護士を志したという経緯がある。
2000年6月に東大法学部を卒業。06年10月に弁護士登録し、清水氏が代表の「清水法律事務所」に入所した。08年から東京六大学の審判員となり、社会人野球、22年夏からは甲子園にも派遣され、経験を積んできた。
野球の師であった父が他界してから、初めてのジャッジ。それが、冒頭の思いである。
「今日は朝から雨天で開催も難しい状況だったと思いますが、主催者の尽力によって、1時間遅れでプレーボールすることができた。仮に中止になっていれば、私が早慶戦の舞台に立つことはできなかったわけですし、伝統の一戦に関わることができてありがたかった」
グラウンドに立てば、深い悲しみも、集中力で、その一時だけは……。全力でプレーする学生のため、審判員は無我夢中になって、全力ジャッジで応えなければいけない。
「早稲田大学、慶應義塾大学の皆さんからすれば、まったく関係のないこと。プライベートを持ち込むことはないですし、試合に入れば、そんなことを考えている余裕もありません」

球審の溝内審判員はレジェンド始球式を務めた早大OB・和田毅氏をマウンド付近までアテンドした[写真=矢野寿明]
2時間45分。試合序盤は激しい雨が降り注ぐ厳しいコンディションだったが、1試合を乗り切った。ゲーム後は、現実に戻った。
「他界してからまだ、9日しか経過していないので、現実感がないというか……。苦しまず、寝ているように亡くなったんです。また、ふと連絡したら電話に出るような……。父は東京六大学ではありませんが、大学まで野球を続け、高校野球の現場では、何十年も生徒たちと関わってきました。私も野球が本当に好きで、こうして今も携わることができています。続けられる限りは、一生懸命やる。父もどこかで応援してくれていると思います」
東京六大学の審判員はそれぞれ、さまざまな背景を抱えながら、神宮に立っている。家族の理解を得ながら、仕事の合間を縫って、役割を全うする。リーグ戦運営上、アンパイアがジャッジしなければ、試合は成立しない。結成100周年に際し、貢献度の高いポジションの一つである。
文=岡本朋祐