先発陣の柱として
ソフトバンクが6月22日の
阪神戦(甲子園)で3対1と快勝。交流戦は12勝5敗1分けで、2019年以来6年ぶりの優勝を飾った。得意の交流戦で貯金を今季最多の7に増やし、首位・
日本ハムに3ゲーム差まで接近。リーグ戦再開後も、先発陣の柱として期待されるのが移籍1年目の
上沢直之だ。
今季11試合登板で5勝4敗、防御率3.09。5月25日の
オリックス戦(鹿児島)で5回途中9失点と打ち込まれたため防御率が一気に悪化したが、他の10試合はすべて3失点以内に抑えている。交流戦でも6月7日の
ヤクルト戦(神宮)で6安打1失点完投勝利を挙げると、14日の
DeNA戦(みずほPayPay)で7回5安打無失点に抑えて今季5勝目をマーク。21日の阪神戦(甲子園)は初回に3失点したのが響いて5回3失点で4敗目を喫したが、交流戦の活躍は十分に合格点を与えられる。
昨年はアメリカでプレー
日本ハムのエースとして活躍し、ポスティングシステムを利用して23年オフにメジャー挑戦。レイズとマイナー契約を結び、開幕メジャーを逃すと金銭トレードでレッドソックスに移籍した。メジャーでの登板は2試合にとどまり、1年限りで日本球界復帰を決断すると、古巣の日本ハムではなくソフトバンクに入団したことが大きな波紋を呼んだ。上沢は入団会見で「簡単な決断ではなかった」と胸中を吐露し、「自分で決断した道なのでこの決断が良かったものと言えるようにプレーや結果で見せられたらと思っています」と決意を口にしていた。
アメリカでは思うような活躍ができなかったが、日本ハムでは21年から3年連続150イニング以上投げるなど、タフであることが大きな武器だ。高校時代は甲子園出場がなく、ドラフト6位で入団。快速球が武器の本格派右腕だったが、プロの世界で白星を重ねていくために進化していく、フォーク、カーブ、カットボール、ツーシーム、スライダーと多彩な変化球を操り、打者を翻弄する。
中学時代は無名の選手
専大松戸高で指導した恩師の持丸修一監督は、上沢について週刊ベースボールの取材で以下のように語っている。
「地元の中学(松戸市立第一中)から専松(専大松戸高)に来たわけですが、中学時代は無名の選手。正直、私は中学でプレーする姿は見ていないのです。確か入学手続きの締め切り間近に、ウチで野球をやりたいと連絡が来た。見れば、体が大きくて、柔軟性もありそうだった。やる気もありそうだったからスポーツ推薦で入ってもらったんです。それほど期待もせずに入部してきた上沢ですが、投球を初めて見たときにショックを受けました。同時に『この子はプロでやらせてやりたい』と感じたのです。なんていうのかな、100球に2〜3球、本当に素晴らしいボールをミットに投げ込んでいたんです。まだまだ粗さもあり、技術的にも体力的にも磨かなければならない部分はたくさんあったものの、強烈に光るものがあった。何とかプロの世界に送り込めば、レベルの高い指導で上に引き上げてくれるんじゃないかと感じました。あとは本人の気持ちが前向きなところも上に行かせたいと感じさせてくれました」
「高校のある時期に覚醒したとか、上沢に関しては急に大化けしたという記憶はありません。階段を一歩一歩上がっていくように成長していきました。球速もそうです。いきなり10キロ、20キロと伸びることはなかったですが、着実に力をつけていった。入部したころは120キロ程度だったのが、3年のころになると140キロくらいまでは出るようになっていました。2年の後半あたりから半信半疑ながらプロを意識していたと思います。スカウトへのアピールを考えれば、甲子園で投げることは大きなチャンスとなる。3年春は県大会準優勝を果たしてチームとして12年ぶりの関東大会で8強。しかし、甲子園を懸けた最後の3年夏は4回戦で敗れてしまいました(東京学館浦安高戦、2対3)。上沢は千葉明徳高戦との2回戦で投げ、延長11回を引き分け。翌日の再試合も途中から登板し、勝利に貢献するなどエースに負担がかかっていたチームでした。戦力としては、まだ勝負できるようなチームではなかったということです。それでも彼は頑張った。『自分がなんとかしなくちゃ』という思いで腕を振っていたのだと思います」
責任感の強い性格は高校を卒業し、14年の月日が経った今も変わらない。ソフトバンクのリーグ連覇に向け、先発ローテーションで稼働し続ける。
写真=BBM