プロ初先発で初勝利

8月6日のヤクルト戦、6回2安打無失点でプロ初勝利を挙げた森田
苦しい台所事情で、遅咲き左腕が輝きを放った。
巨人の
森田駿哉がプロ初先発となった8月6日のヤクルト戦(東京ドーム)で、6回2安打無失点に抑えてプロ初勝利をマーク。「昨年は何もできなかったので、今年はと思って。シーズン序盤は二軍だったんですけど、ここでしっかりと一つ結果を出せてよかったかなと思います」とお立ち台で初々しい表情を浮かべた。
落ち着いたマウンドさばきで、打者の懐を果敢に突く。森田の魅力が凝縮された投球内容だった。初回二死二塁のピンチでは、球界を代表する強打者の
村上宗隆に対して初球から内角高めにツーシームを3球連続で投げ込んだ。最後はフルカウントから外角低めのスライダーで空振り三振。4回一死二塁で巡ってきた村上と2度目の対戦では、フルカウントから内角のスライダーで三飛。その後に
ホセ・オスナに四球を与えたが、
山田哲人を初球の147キロ直球で右邪飛に仕留めた。92球を投げて4三振を奪い、三塁を踏ませない。ほぼ完ぺきな投球だった。
富山商高では世代屈指の左腕として、名を轟かせていた。3年夏に初戦の日大鶴ケ丘高戦で完封勝利を飾ると、2回戦・関西高戦で1失点完投勝利、3回戦・日本文理高戦も7回1失点と快投を続けた。この活躍が評価されて高校日本代表に選出。巨人でチームメートになる同学年の
岡本和真、
岸田行倫、
高橋光成(
西武)、
栗原陵矢(
ソフトバンク)と共に日の丸を背負い、先発登板したU-18W杯の決勝・韓国戦では8回1/3無失点と好投した。
法大時代は「悔しい思い出が多い」
法大に進学すると1年春の開幕戦・慶大戦で先発に抜擢され、6回無失点でリーグ戦初登板初勝利と最高のスタートを切ったが、リーグ戦の白星はこの1勝のみだった。左肘痛を発症し、2年冬に手術。4年春に復帰したが、本来の輝きを取り戻せなかった。森田は週刊ベースボールの取材で以下のように振り返っている。
「法大では六大学の『伝統』を感じました。1年生の秋、リーグ戦の前に各大学のえらい人や主将、指名選手たちが集まるパーティーに出席しました。僕は指名選手で参加させていただいたのですが、他校は早大の茂木(
茂木栄五郎、現ヤクルト)さんや明大の高山(
高山俊、現オイシックス)さんという錚々たる顔ぶれで……かなり緊張しました。その年は創部100周年のパーティーも開かれ、
江川卓(元巨人)さんや偉大なOBの方が集まって、そこでも伝統を感じましたし、多くの先輩方がつくってきた法政の強さを引き継ぐ責任を感じました。でも、僕がちゃんと投げられたのは1年の春だけ。あとはほとんど肘のリハビリで終わってしまったので、悔しい思い出が多いです」
レジェンドOBが高く評価
Honda鈴鹿に入社して5年間プレー。年を重ねるとプロ入りへの道が厳しくなるが、26歳のときにドラフト2位で巨人に入団した。新人の昨年は春季キャンプから一軍スタートで、シート打撃で快投を重ねていた。左肘の炎症で離脱したが、巨人OBの
堀内恒夫氏は高く評価していた。
「支配下ドラフト2位で、ホンダ鈴鹿から入団したサウスポーの森田駿哉は、春季キャンプ中の2月11日に27歳を迎えている。いわゆる“オールドルーキー”だけど、キャンプ地から送られてくる映像を見ながら、俺は『こいつは本当に新人か?』と我が目を疑ったほどだ。その落ち着いた貫禄あるマウンドさばきを見ていると、『俺にはもうあとがない。今年が勝負なんだ!』という意欲がヒシヒシと伝わってきた。投球フォームはキレイでムダがないのが特徴。コントロールも良く、チェンジアップを駆使した質のいいボールが持ち味である。ところが、宮崎キャンプ第3クールで、左肘に炎症を起こしてリタイアしてしまった。開幕には間に合うように、早期復帰を実現してほしいものだ」
昨年は同期入団の
西舘勇陽、
佐々木俊輔、
泉口友汰、
又木鉄平と森田以外の支配下のすべての選手が一軍出場した。悔しさは当然あっただろう。だが、これまでも幾度の試練を乗り越えてきた。自分のやるべきことに打ち込み、巡ってきた一軍登板のチャンス。高校日本代表でバッテリーを組んだ岸田と息の合った投球で見事に結果を出した。
一軍の先発陣は盤石と言えない。西舘勇陽が右肩周辺のコンディション不良、
フォスター・グリフィンが右膝痛で戦列を離れ、エースの
戸郷翔征も3勝7敗、防御率4.50と安定感を欠いている。森田はきょう12日の
中日戦(東京ドーム)に先発予定。残り試合が少なくなっている中、負けられない戦いが続く。重圧を力に変え、チームの救世主になれるか。
写真=BBM