初打席本塁打が最終打席に

1990年から92年までオリックスでプレーしたシュルジー
いよいよセ・リーグでも2027年から指名打者制が導入されることになった。それからは投手が打席に立つ光景は基本的には見られなくなるだろう。近年は交流戦があり、セ・リーグのチームが主催するゲームではパ・リーグの投手も打線に並ぶが、1975年に指名打者制が導入されて2005年に交流戦が始まるまでは、パ・リーグの投手が打席に入ることは稀。そんな貴重なチャンスを逃さず圧倒的な成績(?)を残した投手が、オリックスで1990年から92年までの3年間プレーした助っ人の
ドン・シュルジーだった。
先発でも救援でもマウンドに上がったものの、投手としての結果は残念ながら圧倒的とは言い難い。ただ、打撃成績は別次元と言うこともできよう。91年5月29日の近鉄戦(日生)。オリックスは先発した新人の
長谷川滋利がプロ初勝利を懸けて好投、そして打線も9回表に3点を奪って逆転。その裏、長谷川に代わってマウンドに立ったのがシュルジーだった。オリックスは9回表の攻撃で一塁の
ブーマー・ウェルズと指名打者の
石嶺和彦に代走を出していたため、石嶺の代走に入った
飯塚富司が一塁を守り、シュルジーが六番で打順に並ぶことに。だが、そのシュルジーが9回裏に2点を返されて、試合は延長戦にもつれこんだ。
10回は両チーム無得点で、迎えた11回表、六番に打順が回る。二死ということもあって、そのまま続投していたシュルジーが打席に入った。そして
赤堀元之の初球。これを完璧にとらえたシュルジーの打球は左中間の照明塔まで届く推定120メートル弾となった。そして、その裏を抑えたシュルジーは勝利投手になったが、投げては長谷川のプロ初勝利を消してしまったことで「長谷川に申し訳ない」とポツリ。ともあれ、指名打者制で投手が打席に入ったのは20人目、本塁打を放ったのは初めてで、この初打席本塁打がシュルジーにとって最後の打席に。通算1打席1本塁打、打率1.000、長打率4.000というのは50年の
塩瀬盛道(東急。現在の
日本ハム)以来2人目のことだった。
両リーグが指名打者制となるまで、あとわずか。史上3人目の快挙はあるか。
写真=BBM