「野球王国・岐阜」の再興へ

県岐阜商は日大三との準決勝を、延長10回タイブレークで惜敗[2対4]。1956年以来の決勝進出を逃したとはいえ、多くの感動を聖地に残した[写真=田中慎一郎]
【第107回全国高等学校野球選手権大会】
8月21日 準決勝
阪神甲子園球場
日大三[西東京] 4-2 県岐阜商[岐阜] (延長10回タイブレーク)
県岐阜商高は69年ぶりの決勝進出を逃した。今大会、公立勢で唯一、3回戦(ベスト16)に進出し、準々決勝ではセンバツ優勝校・横浜高(神奈川)を下すなど、強烈なインパクトを残した。ベンチ入り20人中19人が岐阜県出身者。アルプス席は大いに盛り上がった。
春夏通算91勝で、春30回、夏31回の全国大会出場。春3度、夏1度の優勝を誇る伝統校は1925年創部から100年。16年ぶりの準決勝進出で「古豪復活」を遂げた背景には、地元を挙げての強力バックアップがあった。
岐阜県野球協議会・後藤寿彦理事長(岐阜高-慶大-三菱重工三原。慶大監督、日本代表監督、西濃運輸総監督・監督、JR西日本総監督、朝日大総監督)は横浜高との準々決勝、日大三高との準決勝を甲子園球場で観戦した。
「延長11回のタイブレークを制した横浜高校との戦いは、素晴らしかったです。岐阜県勢でもやれる、というところを存分に見せくれた。他の学校にも、勇気を与えたと思います。昨夏まで県岐商を監督として指揮した鍛治舎(鍛治舎巧)さんが戦う姿勢を植え付けた影響も大きかった。勝つために、何をすべきか。そこを、昨秋から藤井潤作監督が引き継ぎ、選手をうまく動かしたさい配も見事でした」

日大三高との準決勝。三塁側アルプス席には超満員の観衆が詰めかけた。敗退後、県岐阜商高ナインは深々と一礼した[写真=毛受亮介]
後藤氏は県スポーツ振興の一環として2003年からの「強化プロジェクト」の一員として尽力。06年春の岐阜城北高の4強、07年春の大垣日大高の準優勝、同夏の大垣日大高の8強、09年夏の県岐阜商高の4強、10年春の大垣日大高の4強と結果を残した。13年春、15年春の県岐阜商高が8強に進出したのを最後に、やや苦戦が続いた。18年に「日本一プロジェクト」が発足すると、後藤氏が座長に就任した。19年夏に中京学院大中京高が4強。23年からは「高校野球特別プロジェクト」と発展させ、県全体での協力態勢を敷いてきた。
「現役の高校球児を強化していくことはもちろんのことですが、主眼の一つに置いたのは、中学生の強化です。他府県に流出させない施策として、強化指定選手制度を導入しました。認定証を交付し『県として期待しています』という姿勢を見せたわけです。硬式野球のボーイズ、リトル、シニアの各リーグに加えて、中学校単位で活動する軟式野球からも各20人を選出。優秀な人材を発掘・育成しました。このほか、体力測定を実施し、また、県内での交流試合を活性化させるなど、一つひとつの取り組みに力を入れてやってきました」
今大会、県岐阜商高のベンチ入り20人中15人が「強化指定選手」であり、地元選手が甲子園で躍動したのは、大きな感動を呼んだ。岐阜県勢の夏の全国制覇は、岐阜商(現・県岐阜商高)が遂げた1936年が唯一。「野球王国・岐阜」の再興へ、挑戦は続いていく。
文=岡本朋祐