日本一イヤーのキャリアハイ
ロッテの助っ人で「
フランコ」といえば、助っ人では異例の主将を務め、独特の打撃フォームで強烈な印象を残した
フリオ・フランコを真っ先に思い浮かべるだろうか。ただ、このフランコは優勝の美酒を味わうことはできなかった。ロッテが現在の千葉へ移転してきて初の日本一に輝いたのは2005年のことだ。率いていたのはボビー・バレンタイン監督。このとき、打線の中軸として活躍した助っ人がマット・フランコだった。この05年の日本一はバレンタイン監督の采配が注目を集め、助っ人たちも監督の陰に隠れてしまっているような印象があるが、バレンタイン采配を打線で最も支えていた助っ人はフランコだっただろう。
日本一、といってもペナントレースは2位で閉幕。ただ、パ・リーグは04年からプレーオフ制を採用していて、そのプレーオフでロッテは3位の
西武、1位の
ソフトバンクを次々に下して、当時の規定でリーグ優勝に。そして、日本シリーズでは
阪神を破ったものだった。04年はバレンタイン監督が9年ぶりに復帰。フランコも入団したが、わずか1勝、0.5ゲーム差でプレーオフ進出を逃している。満を持して臨んだのが05年だったのだ。
中軸を担ったフランコだったが、この05年はバレンタイン監督の「ボビー・マジック」が本領を発揮。136試合で125パターンの打順が組まれたが、助っ人ではフランコと同じく04年に入団して四番を担った
ベニー・アグバヤニが故障、同じく2年目となる
イ・スンヨプは着実に日本の野球にも順応し始めていたものの、やや安定感を欠いていた。そんな中で、打線をつないでいた助っ人がフランコ。最終的には21本塁打、73打点、打率.300のキャリアハイ。また、04年は三塁だったが、この05年は守っても左翼に回るなどチームを支えて、外野手としてベストナインにも選ばれている。プレーオフからはベニーも合流。ともにチーム31年ぶりの日本一の原動力となっている。
だが、翌06年はベニーが復活した一方で、フランコは失速。91試合の出場に終わり、オフに退団、帰国している。チームメートだけでなく、スタッフにも気を配るナイスガイだったという。
写真=BBM