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【大学野球】小早川毅彦氏がレジェンド始球式 応援席で「相当な熱量に圧倒されました」

 

神宮に名を残したスラッガー


法大OBの小早川氏が9月21日、東京六大学野球連盟結成100周年記念のレジェンド始球式を行った[写真=矢野寿明]


 温厚な人柄がにじみ出ていた。

 法友野球倶楽部・小早川毅彦会長(元広島ヤクルト)が立大2回戦、法大サイドの一塁側応援席で母校に声援を送った。この日は東京六大学野球連盟結成100年の記念イベントである、レジェンド始球式に登場。大きくふりかぶったワインドアップから山なりのボールは、見事なストライク投球だった。

 報道各社の取材対応後、すぐさま大学関係者、野球部OB・OGらが待つ応援席へ向かった。イニングの合間、応援団のアテンドによりリーダー台に立ち、改めて小早川氏が紹介されると、大盛り上がり。団幹部の「学生注目!」からのコールを受けて「そうだ!」と小早川会長も、観客と合わせて右手を上げた。終始笑顔で、気さくな対応に、応援席のボルテージも最高潮に達した。スタンドの熱気がグラウンドの選手たちに届き、法大は立大に4対1で雪辱。対戦成績を1勝1敗のタイにした。

試合前には、ベンチ前で後輩たちを激励した。「今年は東京六大学100周年。野球部創部110周年。スローガンは『執念』。3つのシュウネンを伝えました」。法友野球部倶楽部会長の言葉は熱かった[写真=矢野寿明]


 小早川会長は法大時代(1980〜83年)、1年春から四番・一塁で、同春を含む5度のベストナイン。2年秋には戦後5人目の三冠王に輝いた。4年間8シーズンで16本塁打(歴代13位)、114安打(歴代11位タイ)、72打点(歴代6位タイ)と、神宮にその名を残した。

「必死にやっていた結果が、記録になりました。首位打者、本塁打記録などは学生時代、まったく意識しませんでした。相手校から勝ち点を奪取することしか考えていなかったです。ただ、三冠王という肩書が付き、そう見られる立場にもなり(その実績を)汚してはいけない。見合う働きをしないといけない。チームに貢献していかなければいけないという思いを持って、プレーしてきたつもりです」

 当時、東京六大学独特のムードが、背中を押してくれたという。

「各大学の応援団(部)と、グラウンドでプレーする選手の熱量が一緒になって、その雰囲気を作り上げていました。学生、観客を含めた三位一体の印象が残っています。どこが欠けても、六大学の神宮の野球にはならない」

これからも母校のために尽力


 小早川会長は入学早々から中心選手であり、常にフィールドで五大学と対峙。卒業後はプロ野球で活躍し、引退後はコーチ、そして野球解説者と歩んできた。卒業後も母校を気にかけてきたが、こうして学生席(学生時代の呼称)から野球を見るのは、野球部OB会長の立場になってから初めての経験だったという。

「1回から9回まで、リーダーに合わせて応援席で応援するのは大変なことです。横にはベンチに入れない控え部員もいますが、メンバー入りしている選手は、これだけのサポートを受けていることを感謝しないといけません。私も理解しているつもりでしたが、実際に応援すると、相当な熱量に圧倒されました」

試合前には法大の同級生で、通算30勝を挙げた和田護氏[右、元日産自動車]がキャッチボール相手を務めた[写真=矢野寿明]


 野球部と応援団(部)、そして支えてくれるファンがいてこそ、東京六大学リーグが成り立つことを再認識した。

「100年は過去の先輩方が築き上げてくれたもの。六大学を一つの本に例えると、100ページになる。歴史に燦然と輝いています。これからも1年1年、新たな1ページを積み重ねて、150ページ、200ページの本にしていかないといけない」

 ああ愛する母校――。法政の野球とは何か。

「ガムシャラに、集中力を高め、決してあきらめない」

 野球部OB会長として「法政大学野球部の父」と言われる藤田信男氏(1987年野球殿堂入り、元監督、法大名誉教授)の教えを後輩たちに伝え、継承する責務がある。63歳。これからも、母校のために尽力していく。

文=岡本朋祐
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