人生の師からの金言を胸に

法政二高、法大で左打者としてプレーした肥後コーチ。大学を卒業した2023年からは母校・法政二高を指導している[写真=BBM]
【9月27日】
秋季神奈川県大会準々決勝
法政二高8-4橘高
神奈川県高野連が公開する登録25人のメンバー表で、法政二高の指導者欄は川崎晶子責任教師と絹田史郎監督が記載されている。もう一人、顧問がベンチ入りできるが、そこは空欄になっている。学校関係者で野球部に関わっているのは「2人」を意味している。
現場指導は絹田監督を中心に進められているが、強力なサポート役として、ほぼフルタイムで携わっているのが肥後幸太コーチだ。橘高との県大会準々決勝で勝利し、秋25年ぶりの4強進出。10月4日には、1992年秋以来、33年ぶりの関東大会出場をかけた立花学園高との準決勝が控えている。法政二高は過去に甲子園で夏春連覇を遂げ、春2回、夏9回の全国大会出場を誇る。一時代を築いた伝統校も、甲子園出場は昭和ラストの1988年夏が最後。今秋の躍進により「古豪復活」への兆しを見せているが、外部指導員の肥後コーチが尽力してきたのは言うまでもない。
中学時代は青葉緑東シニアでプレー。中学校の内申点が上位であり、同シニアの指導者が法政二高出身だった縁で、同校へ進学した。法大の付属校で高校3年間、甲子園出場を目指し、卒業後は東京六大学でプレーする青写真を描いていた。法政二高では、1学年下の代から内野のレギュラーとして出場。3年夏は海老名高との北神奈川大会初戦(2回戦)で敗退(四番・一塁)し、目立った実績を残すことはできなかった。
法大では下積みの2年間を過ごし、3年春から左の代打要員でベンチ入り。4年春の明大1回戦で、リーグ戦7打席目にして初安打を放った。これが、最初で最後のヒットだった。
「当時助監督だった大島さん(
大島公一、24年春から監督)には、いつも夜遅くまで練習を付き合ってもらいました。この『ご縁』に感謝しているんです。選手として神宮で活躍し、結果で恩返ししたいと思っていましたが、別の道もあると考えるようになったんです。大島さんとの2人との時間は技術指導だけでなく、人として生きていく上での学びがたくさんありました。大島さんのような熱い大人に成長し、学生の夢を実現させるための手助けができる指導者を目指そうと思いました」
すべて代打の8試合出場、8打数1安打、打率.125。肥後は選手として、4年春のシーズンをもって一区切り。学生ラストシーズンの4年秋は、自ら学生コーチへと転身。チームのため、選手のために身を粉にして動いた。
大学卒業後の2023年4月からは科目等履修生として通信教育などで、社会科の教職課程を履修。勉強後は、法政二高のコーチとして日々、校務多忙である絹田監督を支えてきた。
「歴史と伝統のある法政二高硬式野球部ですから、さまざまなプレッシャーがあることは確かです。一方で、純粋に野球と向き合う生徒たちと接するのは、やりがいがあります」
将来的には母校の教員として、硬式野球部にも携わっていきたい希望を持っているが、これも人との縁。あくまでも、狭き門である採用公募を突破しなければならず、現状は目の前の一日を全力で過ごすしかない。
「知は力なり」。人生の師・大島監督からの金言を胸に、肥後は高校球児と真正面から向き合いながら、自己研鑽に励んでいく。
文=岡本朋祐